【願いの園】はじめに
ヒトが楽を求めることはおそらく、水が低きに流れるのと同様に法則なのでしょう。巨視的に見れば常に同じ向きで、しかし微視的には逆もあります。
とはいえ水は循環します。様々な経路を辿っていつしか海に合流し、つまり広く行き渡ると、太陽から大きなエネルギーを受け取って一部が空へと上がっていきます。それは更に広がった状態への移行です。そうして目に見えないほど小さくなったそれらは、その熱量で激しく飛び回り、他の水滴とぶつかって徐々に集まっていき、そして雨となって、また、降り注ぐ訳です。
寡聞ながら、それが営みのように思われるのです。
***
二疋の羽虫の姉弟が、高い木の枝で話していました。
「フラヌソンはわらったよ」
「フラヌソンはわたわたわらったよ」
下の方は、夜のあかりで海面のように見えます。そのデコボコとした底を、コトコト明るい粒が転がって行きます。
「フラヌソンはわらったよ」
「フラヌソンはわたわたわらったよ」
「それならなぜフラヌソンはわらったの」
コトコト粒が転がって行きます。にょろりと灰色の背をひるがえして、一疋の蜥蜴が下を過ぎて行きました。
「フラヌソンは死んだよ」
「フラヌソンは殺されたよ」
「それならなぜ殺された」
目を逸らすように見上げれば、頭の上を、鷹に似た鳥が飛んで行きました。泣いているのでしょうか、悲しそうな声が聞こえます。
お姉さんが鳥のあとを追うように夜空に飛び立ちました。弟もあとを追います。
森の中を踊るようにしてパタパタと行き、やがて街に出ると、たくさんの光が灯っていました。きらきらと輝いていて、二疋とも吸い寄せられてしまいます。
どこに行こう。
人通りの少ない夜道で、二人の兄妹が並んで歩いています。お兄さんは一生懸命、明るい顔でせわしなく手を動かしながら話しかけ、妹さんはぎこちない笑顔で受け応えていました。
また、どこか。
一軒家の窓から空を見上げる一人の女の子がいました。照らされた顔の右半分はやつれて、しおれた葉のようでした。
また、どこか。
マンションのベランダで一人の女の子が空を見上げています。家の灯りを背に受けて顔がまっくろですが、その眼は、底なし沼のようにもっとふかいやみのようでした。
また、駅があります。
羽虫の姉弟はついに光に近づいて行きます。
そのとき、ぽちゃん。
すぐ目の前の池に何かが落ちる音がしました。またぽちゃんと鳴って、見下ろせば、蛙が飛び込んでいるようでした。
池にはまんまるの月が映し出されていて、姉弟は空を見上げました。
そこには、なによりも輝くものがありました。
姉弟は夜空を飛んで行きます。
どこまでも、どこまでも。
◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇
蛍の火が敷き詰められたような、小さなダイヤモンドがばら撒かれたような、キラキラと明るい光景に、眼をこする。
気づいたとき、祷吏はライトアップされた広いところにいた。
どうやら遊園地の広場のようだ。
目の前で、
学生服を着た少年と少女が、
手を取り、輪になって、回っていた。
「あはははは」
「あはははは」
くるりくるり。
少年はまるで欲しかったおもちゃを貰えたようなはしゃぎようで。
少女はまるで少年に合わせているようにぎこちない。
そこにいるのは彼らだけ。
音の外れたメロディが不協和音を奏でている。
「あはははは」
「あはははは」
広場の周りを、動物を象った着ぐるみたちが武器を持って巡廻していた。遠くに、象のように徘徊する巨大な観覧車が見える。異様なことは充分に理解できた。
「あはははは」
「あはははは」
少年少女の声が徐々に増幅され、反響し、重なっていく。
「「「「あはははは「あはははは「あはははは」」「「「あはははは」あはははは」「「あはははは」あはははは」あはははは「「「あはははは」「あはははは「あはははは」」あはははは」「あはははは」あはははは「「あはははは」あはははは「あはははは」」「「「あはははは」あはははは」あはははは「あはははは「「「あはははは」あはははは」」「「あはははは」あはははは」「「あはははは」あはははは」あはははは」あはははは「「「あはははは」あはははは」あはははは」」「あはははは」「「「あはははは」あはははは」「あはははは」」あはははは」」」」
「「あはははは………………」」
やがて笑い終わると、二人は彼を凝視した。
「…………」
「…………」
何かを訴えかけられている。そう感じた。
次の瞬間、二人は手を離すと、くるりと翻って二手に分かれ、走り去っていった。
祷吏だけが取り残される。
「なんだこれ」
ぽつりと呟いた。
果たして俺は何を見せられたのか。ここがどこで、なぜいるのか。とりあえず気味の悪い場所ということだけが分かる。
……いや。なぜだろう、とても馴染みがあるようにも……。
そうやって呆然としていた彼の目前――先程二人が踊っていた場所に――何かが降ってきた。変身ヒーローのような軽やかな着地をして、ゆらりと重々しく立ち上がる。
ピンクを基調としたふりふりの服を着た幼い少女。魔法少女なんて言葉がちょうどよさそうだった。
振り向いた彼女は、幼さに反して大人びた顔立ちの、悲しいことがあったように白い顔をしていた。それは一瞬のことで、それから、精一杯といった笑顔を作った。
「初めまして河西祷吏さん。私はあなたのサポートを仰せつかりました、天乃兎梅と申します」
そして、かしこまりつつも、穢れのない輝かしい色を纏った声で続けた。
「あなたの願い事を叶えに来ました」
「願い事……?」
訝しむ祷吏に対し、彼女は表情を崩さずに言う。
「どんな願いだって構いません。因果すら凌駕してみせますよ。なにせここは、願いを叶える場所ですから」
最後まで読んでいただきありがとうございます