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【無料サンプル】”家族を灯油で焼き◯せ”毒親サバイバル本『泥から蓮』より

拙著『泥から蓮』ーザゼンベア作者KIOの毒家族サバイバルより、前半部分を無料で公開します。続きはKindleの方でチェックしてみてください。


『泥から蓮』ーザゼンベア作者KIOの毒家族サバイバル

 
著者:KIO
 
 
 
 
目次
1.主要な登場人物
2.オニ
3.コオニ オニの死・全財産相続・不当判決
4.コオニの相続税滞納・破産・犯罪者引き渡し条約
5.第二審での勝利・実家の土地・相続税滞納
6.韓国の会社の乗っ取り、そして意図的な民事再生
7.元同志チェジンとその死
8.五億円配当金事件
9.国税庁がやってくる
10.毒親の母
11.パリの悪魔
12.ザゼンベアというキャラクター
13.ブータンの老婆
14.同時多発テロ
15.お隣さん家族
16.あとがきに代えて、書き手に関して
 
 
 
 
はじめに
この数年、これまで自分が経験してきたことを書物に書き記そうとは幾度となく考えてきた。そして、その考えの中で、自分の経験した、経験しているネガティブなことを文章にして広めることも無いだろうという結論に至っていました。
 
ふと気付くと、遠方の友人らから
 
「ザゼンベアのアイテムはもう無いのか」
 
と聞かれるようになっていた。この本の表紙にあるのがザゼンベアである。
 
そしてこの本の中で書かれるように、ザゼンベアは私がデザインしたキャラクターで、名前の通り座禅をしているクマのキャラクターである。一度は世に出たものの、キャラクタービジネスとしては失敗し、残念ながら今はそのお店も無ければアイテムの生産も無い。不遇の時期を過ごしてきたザゼンベアだが、今は私がそのデザインを保有している。
 
この約20数年間の間で、同時多発テロに被災して日本に帰国し、実家を追われ、ニューヨークでのザゼンベア事業は失敗し、一族の全財産は盗まれ、手持ちの会社は奪われ、追い出され、脅迫され、暗殺を企てられ、残った唯一の韓国の手持ちの会社も一時的ではあるが乗っ取られ、部下には裏切られ、多額のお金も盗まれた。家庭はとっくの昔に崩壊し家族と呼べる家族など残ってはいない。敵勢からの私に対する嫌がらせを目的とした裁判だけでも3,40件以上である。
 
しかし、ザゼンベアが蓮であるなら、これら世俗のドロドロとした物事は単なる泥に過ぎない。禅的な気付きにおける養分でしかないということである。つまり、このような悪事があったからこそ気付くことがあり、その気付きという力は更なる悪しき出来事も無力化することが出来る。良き覚りの前ではどのような悪事も無意味なのだ。
 
心の平安、気付き、覚り。その象徴であるザゼンベアが復活するのであれば、私の苦い経験がその泥として供されるのであれば、これまでのことを書いても良いのではないか。そういう思いで筆を執った次第です。
 
ザゼンベアのことが無ければこれらのことは特に書き出すということも無かったのです。ザゼンベアがもう一度世の中に出るのであれば、そのマインドとセットで、これまでの出来事も持たせて行かせるような、送り出すような気持ちでしょうか。
 
ザゼンベアは筆舌に尽くしがたい悪しき出来事らを乗り越えてきた私の分身のようなものです。この子を可愛がってくれる方がいらっしゃいましたら末尾に示したウェブサイトからご連絡ください。ライセンス契約を締結の上デザインをお貸しします。よろしくお願い致します。
 
合掌
 
2024年4月吉日 KIO
 
 
 
 
主要な登場人物
 
・私(KIO、キオ)  ザゼンベアの生みの親。日本生まれ日本育ちの経営者、芸術家、スピリチュアリスト。ニューヨーク留学時テロに被災。関心は武道、芸術、読書、俳句、温泉巡りなど。
 
・母  戦後の仁川(インチョン)生まれ、容姿端麗の毒親。自称「重度の火病」。20歳まで韓国にいたが、釜山でオニに会い日本に渡る。
 
・姉  パリ在住の無職。整形をした浪費家。中学卒業後にパリに渡り、数十年に渡り一族の資産を貪る。
 
・オニ(父) 会長、狂人、鬼畜。反社会性&妄想性人格障害(?)。実業家を装った在日韓国人の輩。
 
・弟  コオニ。元々は高卒ニートだが、オニの認知症に乗じて一族の資産を全て強奪する。石油王を名乗る虚構系インスタグラマー。
 
・チェジン(仮名)  私の元同志、韓国の会社の元部下。元マグロ船船員の韓国人。謀反人。
 
・キム(仮名) 母の姉。高IQだが獰猛で狡猾。一生一族の資産を付け狙っているストーカー。
 
・ウォル(仮名) 私の従兄弟(母の妹の子供)。ビジネスコンサルタント。友軍代表。数少ない味方。
 
 
 
 
オニ
 
かつていた父親らしき何か
私には父がいたらしい。法律的にはいたことになってはいるようだが、私の中でそれは存在しない。存在はしないが、それに関連して思い出せることを書きたいと思う。それに名を与えることは憚られるが、便宜上、周囲の人間がオニ(鬼)と呼んでいたので、それに倣ってここでもそれをオニと呼ぶこととする。
 
 
オニはどこから来たのか
彼は戦後、小学生ぐらいの年頃で釜山から大阪の鶴橋に船で渡ってきた在日韓国人である。当時は祖父と一緒に来て、後から祖母も移住してきた。強制連行では無く、本国で食べていくことが出来ずに自らの意思で来たと聞いた。しかしながら大阪での生活も厳しく、まだ生活を成り立たせやすい名古屋市の郊外に大阪から移動したのだと聞いたことがある。当時は祖父がさつまいもから水飴を作って売ったりして生計を立てていた。私が子供の頃見た白髪の祖父は穏やかで優しい人だったが、若い頃はよく祖母やオニに暴力を振るい、家族が餓死しそうな状況でもギャンブルに勤しんでいたようだ。オニは後に祖父と油を扱うリサイクルの仕事を始め、小さな商店的な規模で仕事を続けていたようである。
 
色々と苦労はあったのだろうが、一生を通じて何の学びも得ずに外道の歩みを進めていたのだから、オニの過去などは実はどうでもよい。本人は栄光に満ちたドラマを自分の過去に見出したいのだろうが、学びが無ければそれは純粋に無価値どころか有害である。これから書くように、自分自身が苦労したことで、他人に対する思いやりを育んだのでは無く、残虐性を高めていったのだから、それは学びではなく堕落なのだ。
 
 
母との出会い
少し食べるに困らなくなった段階でオニはたまたま訪れた釜山の喫茶店で母に出会い、何もすることが無いままフラフラと日々を過ごしていた母は親切で優しい彼の持っている人格の一つに丸め込まれて名古屋に連れてこられた。世間知らずの母が上手くオニに騙されて付いて来たと言って間違いない。そうこうしている内に姉が生まれ、私が生まれた。そして最後に望まれない妊娠の中、コオニも生まれた。
 
当時は儒教色が強い家だったから、私という長男の出生は大いに望まれていたことであり、私の出生は盛大に祝われたと聞いた。まだ人間性が少し残っていた若い頃のオニには
 
「おまえが長男なのだから、お前が後継ぎだ。会社もお前が社長になる。しっかりしてくれよ!」
 
と言われたものだが、私が成長するにつれて徐々に精神が錯乱して暴力的になり、私を褒めるどころかどうにかして消さねばならないという方向に動いていく。
 
母と一緒になったことで、不思議と何の計画もせず行っていた事業が急拡大したのだが、全く芽の出なかった男がある女性と一緒になることで突然社会的な成功を手にするというのはしばしば聞く話である。そして彼は小金持ちになったのだが、その結果、尊大な自我が成長してしまった。小金を持っている自分は偉いのだから、従え。自分は神様だから他の人間は自分に従わねばならないのだ、という信じられないほど愚かで幼稚な精神をオニは形成していくことになる。もちろん、成功したら母に良くするというのは無く、成功した自分に従えという態度である。経済的な成功の一切は家族に還元されることは無いというのは首尾一貫していた。お金の稼ぎ方も知らなかったが、使い方も一切知らなかった。
 
 
子どもの頃に会った研修生
80年代の中盤頃だったと思うが、その頃は自宅の近くにそのリサイクルの会社や工場があって、韓国からの研修生が来ていた。会社の近所にある今にも崩壊しそうなボロアパートに住まわせながら、工場での労働を強いられていたようだ。私の記憶ではその時に韓国人の青年三人程が一つのグループで来ていた。そのボロアパートに小学生の私は母からの何かしらの差し入れを届けたりというのをしていた記憶がある。
 
その中の一人にユウという男がいた。会社のトップであるオニの本籍の韓国の田舎出身で、遠い親戚とのことだった。いつも油塗れになって彼が作業をしたり、焼却炉で汗を流しながらゴミを燃やしていた覚えがある。イメージ的には整備士のような、田舎の純朴な青年という感じであった。
 
一度、彼らとはハゼ釣りに行った。地元の港湾地域だったと思う。釣具屋に行って、彼らはとてつもなくサイズの大きい竿をオニに買ってもらったのだが、私と弟はその時何も買ってもらえなくて幻滅していた。無駄に大きな竿で小さなハゼを釣っている様子を周りの日本人が不思議そうに見ていたのを覚えている。
 
 
チェジンを連れてきたユウの兄
彼の兄は税理士で、数十年後、私が韓国で経営することになる会社の顧問税理士はこの人物の兄であったし、その兄が連れてきたのが後に私が韓国の会社の副社長に抜擢するチェジン(仮名)という男である。チェジンは日系資本の元マグロ漁船の船員で叩き上げの商人ではあった。後に彼は私と15年以上一緒に仕事をして私の韓国の会社を100億円規模の企業に変貌させることになる。
 
ユウは韓国を訪れたオニの運転手をしていたし、もちろんチェジンとも面識はあった。ユウも一時的に韓国の会社で勤めていたことはあるから、チェジンは元上司ということになる。私としても子供の頃に見たユウを出張先の韓国で見かけるのは懐かしい思いもあって悪い気はしなかった。
 
韓国のその会社の経営を私が一族の長男として受け持ったのが2000年代前半だったと思うが、NYから戻った私は前世代的な経営を一新させて、業績はうなぎ登りに良くなっていった。ポテンシャルはある会社ではあったが、そもそもが商店形式の古いやり方で運営が続いていたので、それを止めるだけでも成長しないわけがなかった。
 
 
嫉妬、ひがみ、やっかみ。
しかし、長男が活躍することを苦虫を噛みしめる思いで妬んでいたのが形式上は会長職に退いたオニである。生まれた時からこの40年程の間、彼の持つ異常な言動には悩まされたが、自分の人生がうまく行かないのは長男のせいだ、と思い込んでいたらしい。実際2017年頃には母親とも離婚調停の裁判を進めていたのだが、母親が彼から離れ離婚を望んだのもなぜか私のせいになっていたようだ。言うまでもなく、夫婦の離婚と私は何も関係がない。そもそも自宅を出てから15年近く、一度も会ったことも話したことも無い。私としては人間の言葉が通じず、悪事しか成さないそれとは単に関わりたくないというのがあった。こちらから率先してそれに攻撃をしたというのも一切無い。ともかく、一生を通じて暴虐の限りを尽くしたのだから、彼が母親とも、そして誰とも信頼関係を築けなかったのは当然と言えば当然のことである。
 
 
警察官は敵
オニは一言で言えば狂人、である。何事も自分の都合の良いように進まねばならないという偏執的で反社会的な考えを持っている者だった。私が生まれたばかりの頃、80年頃には車の運転中にパトカーに止まるように促されたが止まらず、警官に対して暴れて手錠をかけられ、なぜかそれは韓国人に対する差別だという主張をしながら、最高裁まで争って至極当然のことながら負けている。身長約180センチ、100キロ程の巨漢の彼が唾を吐きながら暴れ始めた時、現場の警察官も随分と怖い思いをしたのではないか。
当時の様子は彼による自費出版で気持ちの悪い本にもなっているが、単にパトカーに呼び止められた話がいつの間にか韓国人差別なのだとする無茶苦茶な内容である。自分の都合が良いように論点をすり替えるというのを無意識にするのだ。そしてもちろん自分は絶対的に無実で被害者であるから哀れみを受けねばならない、自分を差別する日本の当局は悪だ、という主張をする。常に自分が正しく、どのような不利益が自分に生じても、それは他人の責任であって、自分の責任は無いとするあの古い大蛇のような思考パターンは一体どこで身につけたものなのだろう。裁判所でもあまりに支離滅裂な主張をするので裁判官に呆れられ注意されていたと母も話していた。晩年には認知症になったようだが、普通の会話が成立しないというのは若い頃からそうだったのが当時の記録からも見受けられる。
 
 
相手を苦しめる方が相手が幸せになる!?
感情的になって、ある思いを持てばそれが彼の世界の中心であり、自分が絶対的に正しいのだ、正しいことにどういった手を使ってでもせねばならないという誤った考え。そして自分自身が苦しいのは相手のせいであり、自分が苦しいのであれば相手が間違っているという論理。そして、自分が苦しいのだから、相手を苦しめても良い、何なら相手を苦しめるほうが相手も自分も幸福であろうという倒錯した見解。相手に苦痛を与えながらも相手の幸せのためにそれを”してあげた”という考えなのだ。人間の言葉が通じない、当たり前のことが通じないあの感覚は今思い出しても不愉快さしかない。
 
 
税務署員を殴る
昔から日本の公務員に対する敵対心はあったようで、日本の会社に税務調査に来た税務署員に暴行を働いて会社が潰れかけたこともある。所謂行政処分というものである。やはり普通の人間ではそういうことはしない。何をすれば何が起こるのか、という因果関係を考えることができず、腹が立ったから殴る、暴れるというような短絡的な行動しかできない。会社が彼の起こした傷害事件が元で行政処分を受けた後も、自分は被害者だという立場は変わらず、お酒を飲んでは自分の名前を叫びながら自宅を破壊し、暴言を吐き、暴れ、吐瀉物を撒き散らした。もう途中から母親も掃除をすることも、家を修復することもやめてしまった。人間というものはきちんと教育をしてしつけをしないと獣と変わらないというのは間違いがないと当時の私は確信したものである。
 
 
家族を灯油で焼き殺せ
自宅にはなぜか彼のこだわりで灯油式のボイラーがあったのだが、そのボイラーの燃料として大きな灯油タンクが設置されていた。なぜ工場に必要な程大きなボイラーと灯油の貯蔵タンクが一般の住宅の内部に設置されていたのか、常識的に考えてとても異常ではあるのだが、何か自分の扱える機械を無駄な手間と費用を使ってそこに置くということが目的だったのだろう。
 
簡単にアクセスできるところに大量の灯油があった。なので何か腹立たしいことがあると油を撒いて火をつけると言い始めるのが本当に怖かった。「油撒いて火つけたるからな」、「油撒いて全員殺してやるからな」という具合である。実際そういう事件が世間でも起こっていたし、白濁した蛇のような目つきで常に因縁をつけてくる彼はそれをふとしたきっかけで実際に実行するだろうというのは近くにいて肌で感じるところではあった。
 
ある島に住んでいる猿が餌として与えられている芋を海水につけて食べ始めたら、他の島の猿もそのように食べ始めたというのを聞いたことがある。2つの島は海で隔てられていて猿同士の交流が絶対的に無いにも関わらずである。その猿達は何かテレパシーのようなもので通じ合っていたのだろうか。オニの灯油を使った脅迫方法と、世間で起こっている灯油を使った犯罪が酷似しているので、邪悪な者同士もそのようなテレパシー的な通信機能があり、油を撒いて人を殺すというのが一種の流行りになっているのではとも思わされた程である。
 
元々彼は仕事で油を扱っていたので、油の扱いに長けていたことも恐怖を後押しした。「家ごとお前たちを焼き殺す油はいくらでもあるんだからな」という態度である。ただ、最後に実行を思いとどまらせているのは、家族に対する愛情ではなく、偏執的な自己に対する愛だったようである。吐き気がするほどの異常なまでの自己愛を、あの獣は持っていた。自分こそが世界の中心であり、全ての下僕共に愛されるべき偉大な人物という設定なのだから、油を撒いて家族を殺せばその妄想の像が壊れてしまう。その意識がオニにあったからこそ私も母も焼き殺されずに済んだのだ。人を殺すことに関しては何の良心の呵責は無いが、自分の妄想の像が崩れることは許せない、ということなのだから恐ろしいとしか言いようがない。
 
オニは言動の全てが極端なのである。気に入らなければ家を出ていけ、死ね、会社を辞めろ、殺してやる、というのは毎日のことであり、気に食わないことがあると突然悲劇のヒロインのような素振りを見せて他人にはいかに自分が苦労をして可愛そうなのか、”自分が”家族に虐げられているのかを言う。彼の中で常に自分は可哀想な人間だから哀れみ、そして従えという意識はとても強固だった。
 
自分が在日韓国人として差別を受けて苦労したから、自分が苦しかったから自分の奴隷になれと言うようなロジックはやはり私には理解が出来ないし理解したくもない、また、理解する必要もない。自分が苦しい思いをしたからこそ思いやりを持って人と接するという風になぜならないのか。もちろん言葉など通じるはずもないのだから、何かを理解してもらおうとなどとはそもそも期待してはいけないのではあるが。その期待をすればするほど、その期待を全力で裏切ることで相手を傷つけるということを彼は企て、それを楽しむのだから、やはり救いようがないのである。相手が悪意を持っていたらその悪意を増幅させる力添えをし、善意を持っていたらその善意を受け入れる振りをした上で相手を裏切り、心を踏みにじることを考える者だった。他人の苦しみを最大化させるという点ではとても狡猾な手法、技術を持っていた。
 
油を撒いて火を付けて全員殺す、全部燃やす、もしくは、彼を正しい方向に導こうと諭す母親を包丁で刺し殺す、止めに入った私を刺し殺す、そのどれかが起こりそうな気がした。実際母とも刃物の仕舞ってある場所については相談をしたことがある。台所に包丁は必要だが、すぐ手に届く場所にあっては危ない。
 
ともかくしょっちゅう暴れ出す彼を押し止めることに幾度となく私も挑戦はしたが、100キロ近い大柄の彼が暴れ始めると止めようがなかった。彼の部屋の周辺はどこも壊れ、汚れ、何かの獣を飼っている塗装の擦り切れた鉄製のケージのようだった。


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