友達の友達は友達か | 交友関係はその人の裏の顔まで見せてくれる
こんにちは。以前紹介した5人の法則について何となく想像を膨らませていました。当人と周りの友人との関係性や性格の対比は、時として我々にいろんな気づきを与えてくれる気がします。
あなたはもっとも多くの時間をともに過ごしている5人の平均である。
You're The Average Of The Five People You Spend The Most Time With
──Jim Rohn
はじめに
仕事では信頼関係が大切とよく言われますが、プライベート含め、全ての人間関係においては信頼が要になる気がしてます。
最近、仕事でもプライベートでも新しく人に会う機会が限られてきました。むかーしは、毎週のように新しい人と会いFacebookで繋がるという、ある意味では意識の高い、不毛な日々を送っていた記憶があります。
皆さんは、プライベートで新しくあった人が信頼に足るかどうかは何をもって判断しますか?
私はその人の友人を見て判断している気がします。
試金石としての友達の友達
交友関係を垣間見ると、その人の『人となり』がよりわかる気がします。交友関係の代わりに配偶者でも良いのかも知れません。
その人が『どんな交友関係で』『どのような付き合い方をしているか』の2点を押さえることで、グッと理解が深まる印象を持っています。
そこでこのnoteでは、『友達の友達は友達か?』という疑問を元に、『友達の友達』について少し掘り下げて考えてみたいと思います。
『誰とでも仲良く』の呪縛
何がキッカケで『〇〇さん』からあだ名に呼び方は変わるんでしょうか。知人以上友達未満の人に対して、微妙な距離の保ち方は永遠の課題です。中には初めからグイグイ行くタイプの人もいますが、私には真似できません。笑
適度な距離感を保ちつつ時間をかけてじっくり吟味すればいいのですが、それも何か違います。
私自身、少しでも気が合いそうな人がいると、無意識のうちに自分でバイアスをかけている気がします。
・この人とは仲良くなれるはず
・きっと気が合うに違いない
知らず知らずのうちに、その人に合わせに行っているんでしょうか。おそらく、『誰とでも仲良く』という幼少期のスローガンが尾を引いているんだと思います。
知人の友達に興醒めすると、ブレーキが作動
そんな知人以上友達未満の段階では、その知人の交友関係をみると相性が明確になる気がします。その知人と合う合わないがハッキリする感じです。脳内事業仕分けですかね。私
知人の交友関係を見て我に帰り、最終的にその知人に対しての個人的な評価が固まります。こう言うとなんか偉そうに聞こえますね。笑
勿論、知人や友達がきっかけとなって凄く仲良くなった人もいるにはいます。ただ、少数派です。確率としては低めな気がします。
交友関係は、当人の心地よさを形にしたもの
以前、アメリカに住む友人を訪ねたことがあります。会社の金で留学するという、いろんなジャンルの『羨ましい』を具現化したような境遇の持ち主です。
さぞかし人生を謳歌してるのだろうと思い多少無理を言って、彼の現地の友人も交えて食事会を開いてもらいました。
留学生に帰国子女、脱サラしたサラリーマンなどいろんな過去を持つ方が揃っていましたが、全員日本人でした。すごく失礼なんですが、少しガッカリした記憶があります。
個人的な意見としては『せっかく留学してんだから現地の人と言語交換くらいすればいいのに』と言いたいトコロなんですが、なかなか難しいのかもしれません。異国の地、一人暮らし、慣れない英語、出すべき成果等々。
結局、交友関係には『その人にとっての心地よさ』を求めちゃうのかなと思いました。
結局、類は友を呼ぶのか
以前、別の友人を訪ねてアメリカの別の場所を旅行した際も、先ほどの例と同じ印象を受けました。
飲み会や食事などに参加させてもらったんですが、だいたい似た人が来てた記憶です。同じアメリカ人でも、アジア系はアジア系というように、ざっくり似た者同士で固まっている印象を持ちました。
日本で遊んでいた頃はいろいろな属性な人がいて、まさにダイバーシティだったんですが、元祖多様性のアメリカ本土での『友達の友達』は少し想像と違いました。
私のただの早とちりなのかもしれませんが、属性間で何となく隔たり的なモノがあるのかと想像しました。少し悲しくなった記憶があります。
様々な文化の中にいたとしても、結局のところ類は友を呼ぶんでしょうか。
さいごに
この前友達が離婚しました。それからというもの、かなりアクティブに独身生活を楽しんでいるようです。寂しさを紛らわしてるのか、羽を伸ばしているのか真意はわかりません。が、独身貴族の社交界デビューを果たして、次会う頃には知らない人になっているかもしれません。笑 それではまた。