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自由がいいか、ルールが第一か

仕事旅をしています。旅先では娯楽が少なく、娯楽に時間を費やす人は辛そうだなと感じます。


ただ、この「娯楽」って一体なんなんでしょうか?

趣味とも言えるかもしれませんが、世の中にはひたすら消費をする趣味だって溢れています。

それってどういう事?と言われることがありますが、つまりは積み重ねるかそうでないかの違いかなと思います。


単なる消費をする趣味も、記録して膨大なデータにしてしまえば積み重ねていくことにもなりますが、そこにも2種類あって、自分で作り出すものとその作り出したものをただ消費するだけのものがあります。


コーヒーを自分で淹れる人と、カフェ巡りが好きな人とに別れるのはその点なのかなと思います。


そしてカフェ巡りにも、インスタなどに投稿してイイネを増やすのが趣味だと言う人もいれば、自分で淹れたコーヒーを記録し、探求、追究して自分好みを深めていく人もいます。


それすらしないで、ただ飲んでます、ただカフェ巡りしてますなら消費するだけの趣味だと言えるのかなと考えた次第です。



うーん。

だからなんなのだという話ですが、田舎にいると、特にチカラも入れていないコーヒー屋さんが2、3軒あって豆を仕入れるのも一苦労なんてことがザラにあるのです。

そういう意味においても娯楽の少なさにガックリきて、ストレス発散にも困る人が多くいるのです。




ふと思いました。

娯楽って、そうやって趣味だと言ったとしても、やっていることは単に"とある特定のルールに従ったまでの事"です。


音楽を聴くのが趣味だという人はどうでしょうか?

音楽もある特定のルールがありますよね。リズムがあってリズムにベースを合わせます。音楽のベースができればそこにメロディを加えて、歌詞を入れて、歌を入れてコーラスを入れて…と、特定のルールにポコポコとそれ相応のものを当てはめていったというだけの事です。


作り方はそうなのかもしれませんが聴く側はどうなのか?というと、そのルールを聴いて、それに合わせて身体を揺らし気分を上げているだけです。


クラブに行けばリズムに身体を預けてユラユラと自由に動けばいいと言われますが、みんなめちゃくちゃなように思えて、みんな同じルールに従って、その中で自由に乗っていると思えば皆同じ事をしている、つまりルールに当てはめられていると言っても過言ではないかと思います。




人々は自由が良い、自由が好きだと言います。

しかし、娯楽の中には実はルールがいっぱいで、その厳しいルールに厳格に則してはじめて「楽しんでいる」ということになると考えると、いかに無法地帯がつまらないものかと思わされます。



この田舎がそうです。

田舎はある意味で都会よりも自由な面がひじょうに多くあります。

近隣との距離があるので、ある程度大きな音で音楽や映画も楽しめますし、スケボーだって誰も使わない広い駐車場でやれば特に叱られることなんてありません。

焼肉もできます、ある程度近隣の迷惑など考えなくてもです。




しかし、実際はどうでしょうか?田舎には「何も無い」と言います。


何も無いのは物ではなくて、ルールなのではないかと思いました。

何も無いところで若者がまずやりだすのがゲームです。それがデジタルであろうが、トランプのようなアナログだろうが、そのあたりは関係ありません。とにかくルールに染まった世界観に浸り、そこで買っただの負けただのを繰り返し、一喜一憂をしているのが「おもしろい」と言うのです。



コレは人間のおもしろいところかなと思いました。



例えば、それはルールに則した人々を見るのもおもしろいと感じるわけなのです。


サッカーを観たり、恋愛をゲーム化したような番組を観たり、金八先生を観たりしています。


全てはルールを守る事から始まり、そこで行われるファインプレーや、知的なプレーに一喜一憂して、モラルを守る人やそうでもない人がいて、そして最終的に点が入ります。

選手でなくても、応援者がかなり怒る事だってあります。自分が好きなチームに怒って得点が入るわけでもないのに、のめり込んで選手にヤジを飛ばしたり罵声を浴びせかけます。


観るのは自由だからでしょうか?

本当は選手が怒りたいシーンなのに、選手はジッと我慢して、観ている人が怒りとヤジを飛ばすのです。



自由すぎるのも良くないとわかる一面ではないでしょうか。


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二ノ宮金三郎
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