体調が良くなっても人権は奪われる
※この記事はコロナ社会に対する勝手な空想です。その点を理解したうえでお読みいただけるとありがたいです。
自分が悩ませれている病気とか怪我は、なかなか人には言えない事がある。
特に最近なんかは「咳が出る」とか「熱がある」なんて事を軽々しく言えなくなってしまった。
こないだなんか、職場に「体調が悪い」と伝えると、どんな症状があるかも聞かないで「じゃあ1週間休んでください」なんて言われて、その月はガクッと給料が減ってしまって大変な思いをした。
ま、実を言うと本当のことを言えば、「仮病」だったし、友人の飲食店で働かせてもらったので、金銭的には特に大変な思いをしたというわけではなかった。どっちかっていうとおじさんのくせに仮病なんか使うなよっていう情けなさに自我が崩壊しそうだった。
仮病とはいうけど、ほんとのほんとの事を言えばその日は天気が悪くって、しんどかったのは事実である。
だから、「しんどい」のは本当の事だったんだけど、熱があるかないかとか咳はないんだって事をしっかりと伝える必要があるし、もっと言うなら病院に言ってPCR検査なんかやっていたら確実だったんだろうと思う。
だけど…仕事にそこまでの労力を払って自分の潔白を表明したくはない。めんどくさいんだもの。
そこまではいくらなんでもしたくないかな。
最近、「予防接種はやめよう」とか「マスクを取ろう」という演説をしている人がいる。
僕は呼びかけてまでしてこのめんどくささみたいなのを肯定してくれる人をどんどん増やしていこうとか、そんな活動はしたくないけど、なんとなくこの流れは来るだろうなぁと思っていた。
3年くらいは感染者が多いだの少ないだのと言って、対策に追われてその対策の名残りみたいなものが抜けないで、効果があるのかないのかよくわからないままに過ごすんだろうなぁと。
そしてその後にまた以前の生活に戻そうという活動をはじめる人がちらほら出てくるんだろうなぁと、なんとなーく感じていた。
大地震が起こった時なんかに状況は似ている。
3年くらいは復興復興と言っているけど、その後は水面下の活動に変わって意識する人もあまり多くなくなってくる。
マスクなんてもう効果があるかどうかも特に言う必要もなくなっているし、生産も追いついていないということもないのに、誰もがまだまだマスクを手放せないでいる。
僕が思うに、もはやマスクなんて価値観に過ぎないと思っているのだけど、なかなかマスク無しの生活をしようとする人はいない。
というのも、マスク無しじゃ生活しにくくなっているんじゃないかな。
公共の乗り物に乗るのだって、買い物をする施設に行くのだって、マスクしていないとほぼほぼ人権が無いくらいの扱いをされる(実際にそうされるわけじゃないけど)。
人権なんてもはや無くなっていて、大きな組織や集団の管理下にあることがもはや、人権だと言っているように聞こえるのは僕だけなんだろうか。
ワクチンを打とうよと促すCMもあるけど、ワクチンを打った者は良くて、打たない者は益がないと言っているようにも聞こえるし、打っていない者は正しくない選択をしていると言っているかのようだ。
ワクチンを打って言うことを聞かせて、管理下に置いているようにも感じることがある。ワクチンを打つためにはマイナンバーが必要だとかなんとかって話も聞いた。(よくわからんけど)
ワクチンを餌に、我々を管理下に置くための都合の良い策と考えたら、そう思える気もしないこともない。
これから先にワクチンを打つことによって得られる益の大小の幅が大きくなってきたらいよいよ怪しいなと思うのである。