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始めるためには"終わらせなければならない"と昨日話したその続き

昨日の続き。自分を変えるためにやる事をひとつずつ考える。

事始めには終わりが必要だと考えた昨日(人によっちゃ必然ではないけどね)。何を終わらせるのかと考えると少し難しい気もするが、ちょっとした事を変えるだけで生活が彩ることもあることを考えると意外とそれは簡単に見えてくるなと思った。


例えば、いつも黒しか着ない人がたまには白を着てみるだとか、殺風景な部屋に花を飾ってみるだとか、お部屋に香水を置いてみるとか。

他にも、休憩時間にはお香を焚いてみるとか、帰り道を変えてみるとか、なんでも応用が利く。


ちょっとした事で生活が変わる経験をしたことがある人は少なくはないはずなのである。

雰囲気や、使い勝手、イメージ、風景、居心地、味、におい、食感、温度、感じるものであればなんでも良いが、そうやって少しの変化を日々もたらして日常が作られていくと思えば、ひとつのそこにあったものや行動を減らす事で、何らかの"空き"ができるはずなのだ。



だから、「コレって自分の中で必然なのか?」と考えて、もしいらないなと考えられるなら今すぐにでも辞めてしまっても損はない。そんな可能性も無くはないわけで、じゃあ辞めちゃえって思い切る。
それがたとえごく小さな事でも、完全に辞めるのには思い切りも必要ということで…。だってそうじゃないと、ふとした時に思わずやってしまう事があるじゃない。


そうやって考えた結果。


僕の生活の中で要らないもの。ぐるっと考えてみて、いや考えずともすぐ出た結論ではあるが、"動画を見る"ってこと辞めてみようと思った。
それが何であれすごく短いものであっても。意図せず見ようと思っていないもので、コンビニにある宣伝画面であろうが、定食屋さんのカドの上にある小さなTVであろうが、である。

逆に変な趣味か新しい宗教かと言われても仕方あるまい。

TVだの、YouTubeだのっていう類全般は僕には必要ないなと判断した。何かを学ぶためのものと映画は趣味のひとつとしてはあってもいいかなと思えるので辞めるのはちょっと妥協するが、それ以外の娯楽的なものや宣伝的なものはシャットアウトをしようと心がけてみる。

ただ、勉強と映画くらいの必要に使うなら、なんか良いかなと。



今どき、電車なんかに乗ってるとたいていの人はスマホをじっと見ていて、30人にひとりくらいは本を読んでいるかなという印象だ。


そのうちの何人かはメールや文章を打ち込んでいて、幾人かはゲームをしていて、画面を見ていない人は音楽を聴いている。

動画を見て過ごしている人はそれに比べると少ないが、長距離移動の際は必然とも言うほどに多くの人が動画や映画を見ている。


僕は移動中などは動画などは見なくて家の中でひとりご飯を食べたり、寝る前くらいに見たりするのだが、なかなか見るのをやめられなくなってしまったり、ついつい夜更かししてしまうこともあるし、ダラダラとご飯の時間が長くなってしまうこともありムダだなぁと感じていたところだ。


やらないと決めて、サクッと違うことで埋めてしまおうと思ったのである。



まだ結果は出ないが、

応用として"SNSをダラダラ見ない"って事もいいだろう。

なんだかんだで宣伝が目立つから、あえてそれを見に行っていると言っても過言では無いわけで…。

つまらない人だと言われそうだけど、同じ事をしているからマトモなんだとも言える事でもないんだし。そのへんは"変な人"を通しても差し支えはしまい。






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二ノ宮金三郎
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