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最低限自分の癒しは自分で作りたい

「癒される」という言葉が、なんだか気持ち悪いと思っていたことがあるが、うーん…今でもそんなに変わっていないかな。ちょっと気持ち悪い。ってのが正直なところ。

だけど、意外と僕はいろんなものから“癒しをもらっているなぁ”と最近感じたのだった。
たとえば、新しい服とか、美味しい食べ物とか、ぐっすり寝ることとか、天気とか犬とか、そして友人との会話とか…。


若い頃には必要としていなかったのだけど、結局のところ僕らは30代も半ばくらいになると目覚めた瞬間からもうすでに疲れてしまっている。朝から癒されるものを探すようになってしまうのである。

だから、お婆さんとかお爺さんになるとちっちぇー犬とかを飼って朝から尻尾を振って自分の事を喜んでくれる生き物を見ては、癒される日々を送るのだ。
朝ごはんを食べて朝ドラを見たら昼になり、昼になったら1000円そこそこの贅沢な定食を食べて同じ境遇の友人とベラベラ喋ってその後昼寝をし、夕方くらいからすでに酒をかっ食らい、夜は温泉とか銭湯に行ったりもして、疲れてもいないのにマッサージしてもらったりする。


どっかの小金を持っているババァとかはこんな生活してやいないか?
ぬりぃ生活よな。

そうやって「癒しだ癒しだ」と言って、自分が癒される何かを探し求める生き物になってしまうのだ。

しかしそうなると、バリンコバリバリに消費者でしかない。


最近友人からいい言葉を聞いた。
「消費者根性」という言葉だ。



消費者であることに根性を出し活力を使いまくる人のことで、お得だとか、買った、見た、経験した、食べた、行った、などなどの事に一生懸命になっている人の事。

自分だってそうだし、それをやらなくって何を楽しむというんだ?と思うかも知れない。
僕だって物は買うし、お得にいろんなものを買ったり経験したりすることは楽しくて好きなんだが、やれ…それをやることばかりが世の中の全てではないということが言いたいのだ。

僕が思うに、そういう人って自分から“癒しを作り出さないなぁ”と思った。
要するにそれって、“自分が癒されることのために自分だけの中で物事を済ませられない”わけである。

肩が凝ったり、体が疲れたりしたら誰かに揉んでマッサージしてもらわないとそれが癒えないというわけでは全くない。

消費者根性満載だと、ゆっくりとお風呂に入ったり、体操や運動をしたりして「自分から自分の欲求を解決」したり誰かに癒しを与える行動をしたりということがまるでないわけだ。


以前の記事で職場のおばちゃんがエナジーヴァンパイアでめちゃくちゃ疲れるんだという愚痴記事を書いてしまったことがあったが、まさにエナジーヴァンパイアとはそれのことではないかと思った。
よく聞いていると職場では、消費者根性丸出しの会話に満開の花を咲かせている。本当は聞きたくないけど、聞こえちゃうんだもの。

僕はその会話に“参加したくない気持ちをまる出し”にしているのでひとっことも喋らない(それはそれで社会性がない)のだけど、聞いているだけで疲れるそんな話などに興味は湧かない。



みんな癒されることに一生懸命で、生きることに疲れを感じているのに、エナジーまで吸い取られたかないって話なんよ。

たまには自分で自分を癒そうとするとか、誰かのことを褒めるとかなんとかして行動や活動を”誰かの益になるように”行動して欲しいなって思うわけ。


自分にはそれができているのかって?
いや、わかんねぇ。

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