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ビニール袋が有料になったのは”何かを封じるため”だった

陰謀めいた話でもあるけど、あんまりそんな風に考えたくもないからただただ考えてみるというだけの話。

僕らはマスクをすることによって“大きな何か”から行動を制御させられているんじゃないかと思った。
マスクをして、不要不急の外出をしないようにと行動を大きく遮られてしまった。
それに関しては特に何も言及することではないが、これまでもいくらかそうやって生活の不自由を“与えられた”ことはないだろうか?

近くにはスーパーのビニール袋が有料になったという話だ。
これまでは無料で貰えていたものを有料にするんだということで、今でもほんのちょっとだけ不自由だったりする。
しかし、これっていったい何のためにやっているのか正確なところは話してもらっていないのではないだろうか。

確かそう、「エコのため」だったと思うんだ。
このビニール袋が無くなってからそれこそ“エコバッグ”の販売が増えて、みんなもそれらのものを使おうとしているために、みんなの頭の中には「エコのため地球のため」にそれをやるんだという理由づけになっていると思う。

ただ、どうだろう。ビニール袋の使用が減ったところで、地球が少しでもキレイになると思うだろうか?

僕は瞬間的に思った。
たとえばスーパーから買って帰った際に、いつもならビニール袋に入れて買い物を終えるところをエコバックに入れて持って帰るなら、ゴミ箱に被せて使うような袋はどこから持ってきたらいいんだ?

そう。
いつもはスーパーで購入した時にもらえるビニール袋があったために、それをゴミ袋として有効活用していた家庭は多かったはずだ。
しかしそれができないとなると、みんなどうしているんだろうか?

僕は遠慮なくお店から買って使っているが、もしかするとそれだと高くついてしまうのが嫌で、ビニール袋の束を購入して使っているというところも増えただろう。

ちょっと待て。
確かこれって“エコのため”だったよな?と思わされる「あれ?」となる展開ではあるが、まさにそうなのだ。

結局僕らはエコのためや地球のためではなく、「エコっぽい活動」を通して無駄に服従させられているのである。(悪い言い方をすれば)

その裏に何の意図があってそんなことを強いられているのか定かではないが、そう聞くとわかるように特に大きな意味があることを僕らはさせられているわけではない。
たとえば以前に、東日本大震災で電力が少なくなっているからという理由で、意図的に停電することがあったが、ああいう感じの直接誰かの助けになっている実感はビニール袋からは感じられないのである。

僕はある意味でマスクも同じことだと思っている。
今、マスクをつけないと買い物や移動、旅行などほとんど何もできないが、ちゃんと正しい仕方でマスクをしたり感染対策をしている人は大して多くないと思う。手洗いうがいもきちんとしていないだろうし、アルコール洗浄もしっかりとやっている人を見かけるのも少なくなってきた。

そして、決定的なのが、インフルエンザが流行ってて学級閉鎖とかになっているらしいじゃないの。
一時期はマスクと手の洗浄でインフルエンザも少なくなっていると聞いたんだが、インフルエンザも増えてきているんじゃあ、マスクも効果を成してしないと言っても過言ではないと思うんだ。

じゃあ僕らは一体何のためにマスクしているんだろうか?



もしかするとビニール袋もマスクも、何かを封じるための布石なんじゃないかって思ってこえーんだわ。

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二ノ宮金三郎
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