水滸伝の書き下し文(生成AIを使用)

生成AIを使用して水滸伝の書き下し文を行います。
なぜか、幸田露伴の書き下し文と似ているどころかそっくりと思うのですが、幸田露伴訳水滸伝との比較検証は後日に置き、先ずは訳すのを優先します。

水滸伝の書き下し文
詞に曰く:

試みに看よ、書林の隱處、幾多の俊逸たる儒流あり。虛名薄利は愁ひに關らず。
冰を裁ち、雪を翦(き)りて、談笑しながら吳鉤を看る。
前王と後帝を評議し、真偽を分けて中州を占據せんとす。七雄は擾擾として春秋を亂れしむ。
興亡は脆き柳のごとく、身世は虛しき舟に類す。
成名を見ること數無く、圖形すること數無く、更にまた名を逃るる者數無し。
霎時に新月長川の下にあり、江湖は桑田と古路とに變ず。
魚を木に求むるを訝り、窮猿の木を擇ばんと擬するを恐るれば、遠き曲木を傷むことなし。
掌中の杯を且つ覆へしめ、新聲の曲度を再び聽き取らんには如かず。

詩に曰く:

紛紛たる五代の亂離の間、一旦雲開けて復た天を見す。
草木百年の新しき雨露、車書萬里の舊き江山。
尋常の巷陌には羅綺成り、幾處か樓臺に管絃奏づ。
人は太平に樂しみ無事の日、鶯花無限にして日高く眠る。

話に曰く、この八句の詩は、故宋の神宗天子の朝における一人の名儒、姓は邵、諱は堯夫、道号は康節先生と称せし者の作れるものなり。これは五代の殘唐、天下の干戈やむこと無きを歎じたるものなり。その時、朝には梁に属し、暮には晉に属す。正に謂ふところの:「朱、李、石、劉、郭、梁、唐、晉、漢、周、都して十五帝、播亂して五十秋なり」と。後に天道の循環を感じ、甲馬營中に太祖武徳皇帝を生み出だせり。この朝に聖人出世し、紅光天に満ち、異香は一夜を経て散らず、上界の霹靂大仙の下降せしものなり。英雄は勇猛にして、智量は寛洪なり。古より帝王といへどもこの朝の天子には及ぶべからず。一条の桿棒は等身にして、四百座の軍州を打ち、皆姓を趙とす。その天子、寰宇を掃清し、中原を蕩靜して、国号を大宋とし、都を汴梁に建つ。九朝八帝の班頭、四百年の基を開きし帝主なり。この故に邵堯夫先生讃して曰く、「一旦雲開けて復た天を見ん」と。正に百姓をして再び天日を見るを教へし如くなり。

則(しから)ずんば、この先生吟じて贊(たた)へん。時に西岳華山に陳摶(ちんたん)という處士あり。道高く徳有るの人にして、風雲の氣色を辨ずること能ふ。一日、驢に騎りて山を下り、華陰の道中を正に行く間、路上にて客人の傳へ說くを聽き得たり:「如今、東京にて柴世宗位を讓り、趙檢點基に登る」と。かの陳摶先生これを聽き得て、心中歡喜し、手を以て額に加へ、驢の背上にて大いに笑ひ、攧(たお)れ下りて驢より來たる。人その故を問ふ。かの先生道ふ、「天下これより定まるなり!」と。正に應じて上は天心に合ひ、下は地理に合ひ、中は人和に合ふ。

庚申年間より禅を受け、開基して即位し、在位すること一十七年、天下太平にして、これより定まれるなり。位を御弟たる太宗に傳へ即位せしむ。太宗皇帝は在位二十二年にして、位を太子に傳へ即位せしむ。この朝の皇帝は乃ち上界の赤脚大仙なり。降生の時、昼夜啼哭して止まず。朝廷、黄榜を出給し、人を召して医治せしむ。天庭を感動し、太白金星を差遣して下界に降らしめ、一老叟に化して前に来り黄榜を揭り、太子の啼哭を治すこと能ふとす。榜を見る官員、殿下に引き至らせて、真宗天子に朝見せしむ。聖旨、進みて内苑に入り太子を看視せしむ。かの老叟、直ちに宮中に至りて太子を抱き、耳邊に低低として八字を語りしに、太子便ち啼哭せず。老叟、姓名を言はず、ただ一陣の清風となりて去るのみ。耳邊に道ひし八字とは何ぞや?曰く、「文には文曲あり、武には武曲あり」と。端的に玉帝の差遣により紫微宮の中の二座の星辰下り来たりて、この朝の天子を輔佐せしむなり。文曲星は乃ち南衙開封府の主、龍図閣大学士包拯、武曲星は乃ち西夏国を征する大元帥狄青なり。

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