
「難題提示」🌕君という光🌙「ニンゲンとは何か???」
むかしむかし、「物語」が砕け散りました。
物語の破片は散り散りになって、ニンゲンたちの中に溶けていきました。
とある島国の人々はそれを「ユメ」と呼びました。
非常に興味深いのは、その人々が「ユメ」を大きく分けて二つの意味で使うようになったこと。
「現実」で創造したい世界、将来のユメ。
「真実」の仮像としての世界、目を閉じて映るユメ。
これら二つを同様に「夢」と呼ぶのは、創造主が構築した「物語」をまだどこかで覚えているからなのかもしれません。
その島国の人々は創造主に最も愛されていましたから…。
私は日本語に対して、その深淵さにいつも驚愕する。
「クラゲ」を「海月」と表すこともそう。
海の月

陽の光を反射して輝く月
満ち続けることのない欠けた月
水面に浮かぶ仮像の月
その景色(空間)はニンゲンのようだと思う。

陽の光(関係)を反射して輝く月(自我)
満ち続けることのない欠けた月(自我)
海(無意識)に浮かぶ仮像の月(自我)
映され、遷され、寫され、移ろう
ただようニンゲンはまさにクラゲのようだ。
そうして「時」(time)が満ちて(tide)、
「真実(ユメ)」と「現実(ユメ)」が「ホントウ」になる。
「世界(現実)」と「無意識(真実)」との間に境がなかったころの、
砕け散る前の「物語」の中の海へとほんの少しだけ繋ぎ合わされる。
ニンゲンがオリジナルに少しだけ回帰するのだ。
無へと戻るのでなくて、ほしの軸が少しだけ元の場所へ戻ることで…。
あの少女は自分のことが嫌いだった。
彼女は月を憎んだ。
自分で燃えているのではなく、反射して光っているから。
まるで自分のようだと。
少年もそうだった。
私はその視界を嫌だと思っていた。
他の人々にはない視界だから。
私は「普通」になりたかった。
みんなと同じ視界になりたかった。
みんなと違う視界を持つことを隠して、みんなと同じフリをしていた。
それで友達といえるような人たちもいたが、フリをしてできた友達故に心の奥からの繋がりを感じることができなかった。
友達がいるのに孤独を感じる。
かの社会学者は留まることなく流れ去さってしまう現実世界を嫌った。
数年前の常識が非常識に変わり、
戦争の勝敗で神と悪魔の立ち位置が逆転する。
正義のために革命を成し遂げた者は十年後には倒されるべき既得権益となり、経験による自我の変容は変容前の悲しみも喜びも嘘にする。
止まない雨がないように照り続ける太陽もなく、すべてが簡単に流れ去ってしまう。
ある哲学者は事物を仮像に当てはめることを憎んだ。
人を木々に例える者たちはそういったことに言及しない
木々の中には簡単に揺らぐものや、枝葉を繁らせないものや、果樹を実らせないものや、種子を再び芽吹かせないものがあることを無視するのだ
彼らの中の「こうあるべき」に彼らの中の「木の特徴の固定観念」がちょうど当てはまるから、ニンゲンを自らの固定観念の支配下に置くために木々を利用するのだ
そして何より醜いことに、彼らはニンゲンを支配したい欲求によって事象を利用していることに、自分で気が付くことができないのだ!
というより、その醜さに気付かないために何かを利用する
存在はそうやって自我を保持するのに外側に縋らずにいられないニンゲンたちを憎悪した。
存在を保持するのに何かに縋らなくてはならない、
そして縋っていることに気がつけないで他者を攻撃する、
そのような醜さをイデオロギーをとっかえひっかえして隠し続けてきた。
それだけが人の歴史だとしたら・・・。
ニンゲンは
見たいことしか見ない。
聞きたいことしか聞かない。
知りたいことしか知ろうとしない。
それら以外は「そんなこともあるのだろう」、と流してしまう。
こういった事例はかなり多く、「私たち」を「ニンゲン」として、「彼ら」を「ニンゲンではないなにか」、つまりは「バケモノ」とするのです。
ここでいう「私たち」とは自我と自我を成立させる関係性や環境のことであり、「彼ら」とはその外側「知らないもの」、「無意識」ともニアリーイコールで結び付けられる。
ニンゲンは当たり前のように醜いが、
けれども、
陽の光(関係)を反射して輝く月(自我)
満ち続けることのない欠けた月(自我)
海(無意識)に浮かぶ仮像の月(自我)
それらはとても美しくもあるでしょう?

不完全さこそを美しいとする感性をあなたはまだ覚えているかな?
ニンゲンはとても美しいのですよ?
それをずっと忘れないで
忘れてもきっと思い出して
「やる意味がわからない」、ではなく、「あなた自身が意味となる」、
「ホントウ」の世界へ辿り着くために、
「ユメ」を拾い集めて、繋いで、「物語」を再構築するのです。

〇関連
・今回の音楽
・使用画像
・https://www.photo-ac.com/main/detail/2049813&title=やさしい世界〜水面に映る三日月〜
・
・https://www.photo-ac.com/main/detail/22448382&title=月夜の海
・上弦の月 2025.2.5 - No: 31889466|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK