【朔 #192】燐寸を擦って、玄関に向かう
心情の具象化としての取り合わせではなく、葛の蔓延る野原に渓谷にひとり分け入っていたはずが、追従者に気づいて発した言葉と捉えたい。すなわち、景と台詞と。それは蠍の眼が曇るような一瞬であるに違いなく、はらら神を慰める音楽が一生(誰の?)響いているのだった。河口からわざわざ我が家まで歩いて来てくださった弥勒菩薩よ。その徒跣。玄関に積んである玉石を見つけて「此は何か」と問われたので、「母の物です。もっとも、父の物は無いのです。私の物は私の物ですが、天にお任せしているようなものなので私の物と断言して良いのかどうか」と答えた。家に上がっていただき、燐寸を擦って足元を照らした。すると、徒跣はスーッと床の上を滑り、なるほど、一粍くらい浮遊しているんだ、ドラえもんみたいなもんだと思った。箱一つ燐寸を使い切ると、居間に到着した。卓袱台には葛の花が飾られていて、しかし、飾るというより置いてあると言った方が適切で、部屋を対角線上に長い蔓が横たわり中央に据えられた卓袱台を跨いでいて、ちょうど卓袱台の上(つまりは部屋の中心となるのだろうか)に花が咲いているだけなのだ。尻ポケットから新しい燐寸箱を取り出すと、呼鈴が鳴った。弥勒菩薩には適当な場所で寛いでいるようにお願いして、燐寸を擦って、玄関に向かう。またも一箱使い切り、戸を開けると河口からわざわざ我が家まで歩いて来てくださった弥勒菩薩が立っている。その徒跣。玄関に積んである玉石を見つけて「此は何か」と問われたので、「貴方の物ではないのは確かです。私の物でもありません。私は居ません」と答えた。「汝れは誰そ」と問われたので、「私は居ません」と再び答えた。空は真っ赤な天の川を流し、李白の嚔が聞こえてきても、鯨の眠る海が割れるまでは誰も振り向いてはならない。陸上選手の耳に赤鉛筆が挟んである映像に釘付けになる児童たちとその後ろを走り回る陸上選手。陸上選手の故郷は今、鯨塚を壊している最中。冷たい海だった。廃船に釘、縦横無尽。愛するとは、だから、煉瓦が落ちてくる宇宙的な可能性の破壊の末の筒井筒。それだけだ。