【朔 #13】一月、我々の魂の浮腫み、捩れ、融解
ヘッダーはある写真に写り込んでいた帛門臣昂。落語を聴く直前に、メルロ=ポンティと睨み合っている。
小砂川チト『猿の戴冠式』(講談社)はまだ八十四頁で止まったまま。なにか、安心感のような芽吹きが意識を別方向へ、別乾坤へ遣っている。刈られた草が晩冬にも芽吹き、それは春の待望なのかもしれない。水仙の蕾のせりあがる、……一月、我々の魂の浮腫み、捩れ、融解。
油は少なめに、且つレシピはパン生地で。
金曜日からpanpanyaを読み始める。もう、三年前くらいから薦められていた漫画家。一番題名が気になった『蟹に誘われて』(水母と同じくらい蟹に惹かれていて、叩き蟹、庭蟹、かに道楽)から。思っていた蟹と違ったが(野性の走りを見せてくれる蟹かと思いきや、食用蟹)panpanyaワールドに迷い込んでいた。
二冊読んだのだが、それぞれに日記が併録されている。どれも10年代のもの。漫画と同じくらい丹念に読んでいると、名、束、枝、差、が伸びてきていて、そうか、十年前のことは懐かしいのだ、遠いのだ、と気付いた。もちろん、panpanyaの眼差しは、和、多、士、よりも細密であり、見逃すということを柔らかく回避して掬い取っている。こういう眼の角度が欲しい。