【朔 #30】雨中の囀の摺足の厨子
三十回目を前にして、沈黙(mute)したこの随筆or日記について先ずご説明しなければなりません。
二月初旬、歯を痛めまして、歯列がずれてしまいました。今も、係る不具合が生じ続けているのですが、一番の問題はずれた歯が舌を圧迫して、滑舌が悪くなったことです。滑舌が悪くなる、発音が不明瞭になるだけならまだ良いのですが、その無意識の発語の営為が妨げられ、自意識過剰、喉や口周りの筋肉の緊張につながり、吃りがますます吃り、もう、誰とも話したくないと、鬱状態に没入してしまったのです。更には、澱みなく発信できるはずの、文章さえも書きたくなくなって、この朔シリーズは沈黙(mute)してしまっていたのでした。
その間、環、打、歯、の中で言葉は言葉以上に重く固いものになり、物象を超越するほどの圧(stress)が与えられ続け、頭脳の全体を占領していました。狂気寸前の静けさ、その立春の、早春の、黙(もだ)、mute(黙)もだ。歯科医に見せても釈然とせず、なお不安がつきまといますが、一つずつ、一掴みずつ、筒井筒、朔を繰り返す(裏返るさびしさ海月くり返す/能村登四郎)つもりです。
昨日(二〇二四年二月十九日)、雨音に目が覚めて襖を開けると廊下が全く寒くない。湿気を含んだあたたかい空気がこの身体を抱擁するのを感じつつ、あぁ、莞爾としていることに気付く。
もう、かなり前のことになってしまったが、自らの生活感のなさに関する、つまり幽霊状態に関する朔シリーズの応答として読んだ小川軽舟『俳句と暮らす』(中公新書)の内容を反芻して髭をあたる。創作と生活の往還ではなく、環流は可能だ。この無学無才よ、多士済々よ。孑然と鯉のようにまっすぐ、薄き眼鏡と柔軟な声の芯を胸に抱いて、生きる希望が射す。俄かに雨は強くなる。北区では、亀が鳴くかしら。
囀が、……届いた。
雨中の囀の摺足の厨子。
ダリの絵の奥に四肢なく、朧の身体。それから、日本アクロバット、アクロバット。そこから、蝶の羽の白黒写真?
曲芸師、道化師、看護師さーん。
もう、この歯、要らない。