【朔 #196】呪いが漏れる
昨日も昨日で、未練がましく『現代詩文庫 北村太郎詩集』を探して古書店巡り。途中諦めて、『ユリイカ 1972年3月号』を買う。ここ二年、探していたもの。吉増剛造「王國ノート」という記事が載っている。赤裸々に詩篇「王國」の成立過程を書いている。因みに、この号に北村太郎が詩篇「死について」を寄せている。詩集には入れていないらしい。それも頷ける(失礼)。
時間を潰すつもりで、今度は本屋に行った。とりあえず、詩のコーナーに行くと現代詩文庫の品揃えを調べる。時々、妙な一冊が売れたか引っ込んだかして消失する。痩せる一方の品揃え。その中でも、しぶとい『続入沢康夫詩集』を認めて、手を伸ばした。買うつもりはなかった。『入沢康夫詩集』を読み熟せていないので、辛抱するつもりだった(因みにこの店に『入沢康夫詩集』はない。一年前、私が買って以来、補充されていない)。十月初めに出費が嵩むこともあり、絶対に絶対に買うまいと思っていたが……、
パラパラと頁を捲ってしまった。まさに、「山は消える、窓は消える、呪いが漏れる、謡が漏れる、」(帛門臣昂「窓」より)。
『わが出雲・わが鎮魂』……、
衝撃的な「作品もどき」(入沢康夫『続入沢康夫詩集』P.37「あとがき」より)の呪いは一瞬にして解き放たれた。改めて、入沢康夫という怪物的詩人を理解させられた気がした。そして、いつのまにか、私はレジに並んでいた……。
馬鹿なんです、ただただ。
本当は『入沢康夫詩集』収録の『季節についての試論』についてじっくり考える時間を設けようとしていて(できていないわけだが)、不良な歯の噛み合わせに耐えているのに、馬鹿なんです。午年だから、なにか? 鹿といっても、銅鐸の周りをぐるぐるぐるぐる歩き回っている方でしょう?
馬鹿はせめて、馬鹿真面目であってほしい。珈琲を頼んでから、机の上に『北村太郎の仕事① 全詩』を置く。「全詩」と言いつつ、この本が刊行された後、北村太郎はもう一冊詩集を出しているので、「全詩」ではない。途中、『続入沢康夫詩集』を挟みながら、『北村太郎詩集』と『冬の当直』を全篇だらだら読む。『冬の当直』を読み終えて時計を見ると、二時間半経っていて、適宜、珈琲を啜っていたはずが、カップにはまだ半分残っていた。一気に飲み干して駅に向かう。長居して店には申し訳ないことをした。