【朔 #26】黥ける利目
密かな楽しみに、外出する前に何かを「置く」というものがある。これは、設置するとか、放置するとか、時には作動させると言い換えても良い。
例えば、砂時計。五分(不正確な五分だが自室の時間を定めるには絶対的)しか測れない小さなそれをひっくり返し、家を出る。そうすると、駅に着かないうちに砂は落ちきるだろう。それを、話、多、梓、は見ない。ただ、その最後の一粒を思うのみだ。
あるいは、ノオト。過去に製作したノオトを見返すわけでもなく机の上に置いて、家を出る。そうすると、帰宅するまでそれはガラス越しに太陽の様々な光を体験しつつ、家主が普段聞かない音や声を聞き、静かに香の匂いを染みこませてゆく。その最中、誰かに覗きこまれるかもしれない。誰だろう。環、他、市、が対面するのは、暗い部屋の灯りを点けてから現れる未知の一日を過ごしたノオトだけだ。
(みなさん、ついてきていますか)。
ところで、今日(二〇二四年二月三日)は何を「置い」てきたか。言い換えると、何を放置してきたか。
未明まで吉増剛造『怪物君』(みすず書房)を再読or精読していて、出てきた「黥ける利目」(一一四頁、行数明示不可)が、初読の際は気付かなかった(読み流して、意味をそのまま浮かべてしまって)けれども、これは『古事記』に大久米命の容姿を表す言葉だった、と、尾、藻、井、打、巣。別に決定的な何かではないのだが、不透明な道が両者の中に出来始めていた。
ということで、最近導入した読書台に頁を開いた『古事記』を置いてきた。「黥利目」とある頁だ。