【朔 #10】喜撰、という名のつまづくような形象に深く、息を吸いこむ──
昨日の「潦(ニハタヅミ)」から「巽」が出てきて、百人一首で一番好きだった歌が思い出された。「わが庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり/喜撰法師『古今和歌集』巻第十八・雑歌下」である。一首全体のユーモアに優って、小学生の耳には「タツミ」という不思議な響きをもって都から拓かれてゆく道に、その方角が宿す呪術的な意味に(方違が頭の隅にあったらしい)、途方もない魅力が感じられたものである。干支の中にある時とは違う「タツミ」の響き、……。高校生の頃には、好きな歌が藤原定家の歌に変わっていたが、いまだに耳の底には「タツミ」の響きが抜けきっていないらしい。
崩彦さん、
崩彦さん、
巽の山の頂に
振りかざす刃の輝き、耀い、
僧侶の白い頭皮が霞だ。喜撰、という名のつまづくような形象に深く、息を吸いこむ──。
とにかく読まねばならない本が山積している。命が未明には益々短い。メルロ=ポンティが夢の水際に来るのはまだか、……!
接吻の、ぬくもりがあまり得意ではない。
火、思ひ。