【朔 #49】霞として身にまとわりつくだけで凝固しないのだけれど
水母こそ飼えないが、こういう詩岸の端緒を眺めているうちに心は松帆の浦の寒々しい岩に座っている。
時々、港を抱いて寝るから港が恋しくなるのか。常に抱くか、もう、手放すか。
最近、夢によく出てくるのは淡路島。しかし、実在のそれとはかけ離れている。海峡を繋ぐロープウェイがあったり、大きな豆腐屋の廃墟があったり、幹線道路沿いの山肌が絵島の肌に似ていたり。それだけ、淡路島が夢幻の土地になってしまったのだと悲しむばかりに春の雪。
もうひとつ印象的な夢の話を。一度夢に出てきたことがある本屋(古書店かもしれない)にまた行く夢を見た。歯の不安からだろう。つけたこともないマウスピースをしばらく眺めてから、バイクで薄明の街を駆け、本屋に着く。扉はなくシャッターの開閉のみで戸締りをしている。二階建てで一階は狭い。三方の壁に隙間なく本が積まれていて一見すると狭い店内の壁際に本が積まれているように見えるが、その本の壁は四重五重になっており、本来はそれなりに広いはずの床面積を狭めているのだ。本の壁に挟まれて、人ひとり通れる通路があり、その奥に店主らしき人は座っている。ここで夢の中の、和、他、紙、は二階へ上る階段がなくなっていることに気付く。前回は柵もない直階段が本の壁から辛うじて出ていたのだが、無い。あるのは本の壁だけ、とここにきてどうも本の壁に圧迫されていた階段も遂に埋まってしまったのだと悟る。見上げれば天井が切られていて本の壁は二階までぶち抜いている。二階がなくなったわけではないのだ。よくよく見れば、本の壁も階段状になっていて上るというより攀じ登るようにしていけば二階に上がれそうだ。但し、全て文庫本なので踏み外したり、紙が滑りそうで怖い。なにより、売り物に瑕をつけていいのだろうか、と躊躇いつつ本の階段に足をかけた。ぼろぼろと本を崩しながらある程度の高さまでくると、本の階段は本の壁になり、二階の床には接続しない。最後は自らの腕の力で二階に這い上がらねばならないのだ。現実にはそれほどの筋力はないが、なんとか床の縁に指をかけて懸垂し、二階に這い上がった。二階は広々としてすっきりしている。もちろん階段のある側は一階から続く本の壁が形成されているのだが、他の三方の壁には棚が設えてあり、本は綺麗に整理されている。いくつか木製の長机が置かれていて、そこには本が積まれている。母校の小学校を思い出させる、何度も何度も油をひいたであろう木の床にも少々。全体的に埃っぽく、窓は曇り硝子ゆえに薄暗いが、妙に落ち着く。二階には三人の客がいた。彼らもこうして上がってきたのだろうか。さて、自分も本を漁ろうとしたときに、「〇〇(本名)?」と声を掛けられる。すらっとした若い男性だ。一目見て、分かった。彼は高校時代に最も尊敬していた先輩である。北海道にいるはずが神戸に帰ってきていたらしい。大いに歓喜して言葉を交わす。それも邪魔になってはいけないと切り上げて、奥へ向かった。
だから何、というわけでもない夢の話。こういった非現実的な空間が現れると必ず予感めいた人物も登場する。その予感はいつも霞として身にまとわりつくだけで凝固しないのだけれど。