【朔 #168】「餅搗島」と「寒鴉」
地獄も休みで夏休みかというとそうはいかない朔シリーズ。
昨日(二〇二四年八月十五日)の朝の夢。
私は「〇〇荘」と名がついていそうな古いアパートの一室に住んでいた。六畳一間に裸電球がさがっていて、卓は無く、和箪笥がひとつ部屋の隅にある。窓は灰色の影に埋め尽くされていて、恐らくは目の前がコンクリートの壁。用もないので部屋から共用廊下へ出ると窓が一面に設えてあり充分に明るい。他の部屋は全部扉が閉まっていて、廊下に人の姿はない。洗い場が一つあり、そのあたりには窮屈に男女の下着や筆が干されてあった。その後はぐねぐねと廊下を曲がりつつ建物の奥へ奥へと向かう。窓が無くなっても暖色のランプが無数に煌々と照っていて、レトロな雰囲気が漂う。この辺りから廊下の板張りの床にしっかりとニスらしいものが塗られていて、つるつるとしてぴかぴかに光っている。しかし、ダークブラウンなので落ち着いたシックな味わい。どんどん内装が洋風になり、ここは鹿鳴館の廉価版か。階段を降りて一階に着くと、今度は窓があるようで自然な光に満ち満ちている。少し歩くと急にレストランのようなスペースになった。机と椅子ではなく、卓と掘り炬燵式の座席だ。レトロなレストラン、レトロなレストラン、誰も何も(何)食べていない。新聞を読む紳士とメニューを見る老人と扇をあおぐ淑女が点々と座っている。卓の間を抜けて、今度は回廊に出た。吹き抜けになっている。下の階にはがやがやと人々が行き交う。天井は巨大天窓、ガラス張りで真っ白な光が降り注ぎ、回廊から下階まで変に明るい。装飾の感じからして全体的にロココ。白亜の壁や柱に彫刻が施されている。白亜の階段を降りていると関悦史さんと出会う。「どこにゆくんですか」と問うと「えっ、別に」と言って、階段をゆっくりのぼっていった。なんやかやあり、この美しい建物内を赤い濁流が汚して、その数ヶ月後。日常が戻ってきたこの未知の「荘」では年賀状の準備が進められている。その年賀状を見ると、ここの住所が書いてある。「京都 餅搗島」「京都 寒鴉」と手間を省くためにつくられたのであろう判子を押されている。この広大な建物は「餅搗島」と「寒鴉」の二つの地域にまたがっているらしい。この地名が妙に懐かしく思われた。