【朔 #22】この、朕(兆し)と出会うために
フロッタージュなんてなまぬるい手法じゃない紙の裏の予感が立ってきていて、それに微妙に気付いた、和、多、紙、が俄かに紙(ノオトNo.133)を裏返したらしい。すると、普段インクや朱液を垂らして汚している机の上で書いていたものだから、赤く字や線が生まれていて、それは紙の血管、血脈であった。この、朕(兆し)と出会うために、今まで汚し続けていたのだ、と。
眠気と渇き。時間は絶えず裁断されてしまうけれども、その切れ切れの時間を我々は跳躍せねばならない。
反転した崩彦さん、
。んさ彦崩
月の香の箴言をどうぞ。
読書は吉岡実『土方巽頌』(筑摩書房)へ。吉岡実がチラリと見た、「皮ジャンパー姿の三島由紀夫」(「4『変宮の人』、十一頁十二行目」)こそが今なお、輪、多、子、に憑く亡霊の似姿であった。しかしなんだろう、この窃視者のような気持ちは。語弊を恐れずに言えば、吉岡実自体が窃視者であり、その眼を通して、腸、私、も窃視しているという、簡明ながら回りくどい構造なのかもしれない。
暗黒舞踏。その暗闇に触れたことはないけれど、その核となる部分を薄曇りの汀で目の当たりにしているかもしれない。犬の死骸、犬ともわからぬ死骸の打ち上がった汀で、私、は只管言葉を生んでいた、産んでいた、膿んでいた。その背中は僧侶のごときものだっただろう。