【朔 #23】題は「春は素肌で」
水鳥に逃げられた。久々の川に出てみると、もう、水が温んでいるような。川底には青い藻が発生していて、黒く固そうな古い藻の中で一層、予感めいている。
皮膚を皮膚で擦るような、
自慰にも似た光と水の擦過、
或は、
全き交わり、……
鳥の恋、猫の恋、蝶の昼。
唾液のように温む水。
ああ、春の、
全身を撫で回すこと数秒、
倦みつつ産みつつ。
昨日(二〇二四年一月三十日)、喜楽館に行った後。笑福亭智丸さんの落語を観られて、そうだ、あの人の詩をまだ読んだことなかったんだった、と気付く。なにか、詩を書くことが途方もなく遠く、落語も楽しむだけで核心を探ろうとしていなかったのではないかという焦りが出てくる。
最近来た旅人からの便りでは「そろそろ、また新しい作品を書いていこうと思います」とあった。
ホームで、詩を書きたい旨ポストし、スマートフォンでとろとろと言葉を打ち込む。手紙のような、春の訪れを共に喜ぶ手紙のような、詩が書きたい、と切に願った。「書か」ない詩は身体のリズムとずれてしまい、余程、心身が統一されていなければ言葉が地滑りを起こす。スマートフォンの小さい画面で言葉たちは不安定に積み上がり、折り重なり、霞み、……。しかし、いつのまにか、詩はできていた。時計を見れば三十分が経過していた。短いながら、久々の新作詩である。立春にnoteで公開する。
題は「春は素肌で」。
今日(二〇二四年一月三十一日)はその朗読動画を収録した。一分半の動画であるが、一発で撮れた。できない時は、こんな短い朗読でも上手く声の律動が流れない。
案外、良い詩なのかも、と、卯、奴、穂、零、ているのも、春のせい、星、声、精。