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【朔 #18】たまらず駅で手を洗う

 煉獄を覗くようにして自分の詩作を省みると、忘却の記憶、という言葉が浮かんできた。どこまでも茫洋たるくらげなす記憶の数々を意味以前の海が育む、歪む、身体、世界、寛解。韻を弄するのも不愉快。
 最近は手放してきた時間の、真、穂、露、志、が現前することが多くなり、夢が脳の外に漏れ出ている気分。必死に上塗りしようとして吉岡実『土方巽頌』、田村隆一『腐敗性物質』、吉原幸子『昼顔』を古本屋で買う。渋沢孝輔は諦める。この残置の心(水母にもなりたく人も捨てがたく/藤田湘子)こそ詩の降り口なので、あって、と、言い、訳、良いわけ、ない。早く手を洗いたいが、薔薇の棘が微かに刺さってしまって無理だ。限界へ、脳の蓋へ手を掛けるのだからこれほどの混乱はありうるな(阿李雨留那)、……。
 はたたっ、と何かが溢れる音がして、その度、道は萎びてゆく。
 窓に映るのは自分だが、画面越しに映るのも自分。劣等感を攻撃に転換するか、する必要がないかの二種類しかない、地震、居ない。この、思考の遅延を気付いてもらえない。手摺を掴んで、決して話さず、只管に耐える力を養い、綯う。
 たまらず駅で手を洗う。もう、雪の予感も無い。時間はまだある、と、思う。

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