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【朔 #191】若菜摘んでてもさ

枝の雪手紙不精は死になさい

藤田哲史『楡の茂る頃とその前後』(左右社)

 を読んで、笑ってしまうとともに「枝の雪」の巧みさに口を開けて星空を仰ぐような静けさが一瞬背後を占めた。以来、ずっと頭の中の枝という枝には雪が積もり、私もまめな方ではないからね、と枝豆を食べてビールを飲んで唐揚げを食べてコーラハイボールを飲んだ夜を振り返る。私の牛についてずっと怒っていた酔いどれ俳人は無事に帰宅できたらしく、水母を差し出してきた。時々はそういう人であって、良いと思う。何故か私はそういう人になれない。酔うとしーんと脳内が凪ぐ。言葉が出てこない。意識ははっきりとしているのに、言葉だけが蒸発してしまったみたいになる。そうか、だから田村隆一は酒を飲んでいたのか、と思った刹那、ウイスキー片手に冗談を飛ばす笑顔がちらつき、やはり私だけの現象か、と心は大原の寂光院に居る。頃は二月、春の雪と斑雪。雪解と、川の濁声にかすかに蟬声を聴いた。よくわからない幻聴だった。そこに私の心は居る。もっと正確に言えば、大原西陵に居る。建礼門院(平徳子)の陵だ。寂光院には人が沢山居て、仏の手から垂れた色々の布に触ってゆく。私も触った。対して何にも触れられない、立ち入ることができなくとも、あの陵の寂しさは直に感じられた。真冬にも行きたい場所。
 でもさ、
 大原に籠っていても、駄目なんだ。籠一杯に、
 若菜摘んでてもさ。
 私はもっといろいろな鯨と声を聞かせ合わなければならないし、
 私は囀の隣で黙っていることができない睡眠でなければならない。
 列柱を駆け抜けて、一本の槍と、
 無数の、
 鏡でなければならない。

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