見出し画像

【朔 #228】二十年後って

 これは私の単なる無粋な妄想なのだが、彼岸で谷川俊太郎がはにかみながら吉原幸子と再会して、そこに北村太郎も加わって、死というものの実際を語り合っている気がするのである。語っているうちに、みんな笑って、車椅子は要らない、渇いた眼は潤い、猫がたくさん寄ってくる。繰り返す、これは私の妄想である。
 だけど、木菟。予言者めくなあ。
 全ては脳内の、一音だけの音楽だった。
 先日、表彰式後の懇親会で奇跡的に同い年の俳人が二人いて、もう一人ひとつ上の俳人もいて、彼らに尋ねた。「二十年後って、生きている気がしてますか?」と。男は言った、「いやー、生きてないかも」。女は言った、「うんうん、二十年後って言われると不思議と」。一つ上の女は言った、「誰かは生きてるんじゃないかな」。誰かは、という枯枝の微かな湿りみたいなもの。手放しに肯定してほしい鴨の脛骨の冷たさとは桃色の疵から湯気が出てきて新しい恒星を招集したから球体関節と同時に反対意見を述べよ。死の、最も空白な、無邪気な、柚子が香る、繰り返す、これは私の妄想である。
 着脱式冠婚葬祭。
 すぐ房事。
 なにかといえばすぐ。
 橋をよぎったのは鮎川信夫で間違いない。
 私の背後にはいつも銀杏の木が黄葉して、空を突き上げている。青天の一点から刺激され、そのうち、君は肉を脱いでまた肉をあらわにするだろう。漸く、虫の中身が全宇宙に向けて噴出されるのだ。チョコマシュマロ、マシュマロチョコ、千切ってあげたら鯉が来た。最適化された、嬉しい、ふくらはぎ遠江。寝言を、上善は水の如し。私は今夜も練習する。

いいなと思ったら応援しよう!