【朔 #28】雨の日は部屋の明かりを消して、灰色の窓を感じている
春雨。所によっては春雪なのだそうな。
昔から雨の日が好きだった。雨の日は部屋の明かりを消して、灰色の窓を感じているのが何よりも幸福である。この気持ちはなかなか他には理解されなかったが、最近、かつて日本人が障子に抱いていた気持ちと似ているのではないかと思い始めた。障子は本来一年中嵌めておくものではない。冬場、採光しつつもいくらか冷気を防ぎ熱を逃さない目的で立てるものだ。逆に夏は葭戸を立てて、通気性を良くする。注目したいのは障子に託された採光という役割。電気が当たり前となった我々には、もう、無い感覚なのでしょう(午後といふ不思議なときの白障子/鷹羽狩行)。
ここまで行くと谷崎潤一郎「陰翳礼讃」めいてくるので、止めておきますが。
ともかく、雨の日の窓(ああ、窓か、……)に寄りかかり、煩雑な思考を紙漉きのように偶然の作用で整理しようとしていると、鳥の声がする。暴風雨でもない、この、春雨に、鳥、とりどり、鳥たちは、さちさち、囀の練習中ですか。詩人ですね。愛の言葉を、恋、恋々、練習するなんて。寒いよ、まだ(微笑める天使ばかりの余寒かな/髙柳克弘)、また、明るい嘘を、交換したがっている。
春寒。風に混じって、美味しそうな煮物の匂いが。まだまだ、皆様もご自愛ください。