帛門臣昂はネット詩人ではない
昨年末ごろになるか。あるDMが送られてきた。文面をそのまま公開することは控えるが、ここに抜粋したい。
これは相互フォローでもなければ、私をフォローすらしていない方から届いた同人誌参加のお誘いだ。先ずもって、その参加費の高さから(相場からすれば妥当かもしれないが私の財政状況では痛い)お断りしようと思いつつ読み進めていた。しかし、最後の最後にとんでもない一行が書かれていて、もう金とか関係なく、この人に対する軽蔑と嫌悪を由に断ることを決めた。以下は私の返信である。
感情に任せて論も乱れた長文を送りつけてしまった。その後、向こうからの返信なし。私よりも二回り歳を重ねている人が、嫌な言い方で断られたからと言って、一切返信しないというのもどうかと思うが、私の書き方も酷いので良しとする。先日、その人のアカウントを覗いたところ、三月末に同人誌の計画がなくなったことを呟いていた。現在、個人詩誌を製本所に頼んでいて、近々創刊するらしい。
その他の呟きを見ると、ナルシシスティックで、ある種の選民思想が滲み出ている内容が散見された。私はナルシストが嫌いだ。自己愛のせいで思いやりが欠落している。人間誰しもそういう部分はあり、私もそういう一面があるだろうが、かくも前面に出てしまっている人は、当人の性格を否定することはできないにしても、個人的には関わりたくない。
余計な話をしてしまった。
私が考えたことは要するにネット上で主に活動している詩人と紙(詩集、詩誌)の方で活動している詩人を区別し、あまつさえ優劣をつけるなど愚の骨頂で、いくら紙の方で活動している詩人ももはや詩人としてのありようがなっていない者も居るし、ネットで活動しているとしても真摯に詩と向き合っている者は居る。
そして、詩人としての態度がまだできていない私はいかなる呼称をもってしても表しきれない曖昧かつ未熟な存在だ。プロフィール欄に「詩人」とあるのも、本当の意味において詩人ではないが『世間一般からすれば詩を書いている人=詩人と思っているんでしょう。その説明も面倒だから、とりあえず詩人としておきますね』程度に過ぎない。
実際、ネット詩の方々との繋がりが多いこともあり、身内が攻撃されたように思っただけで、長々と書いた「本物の詩人観」も後付けかもしれない。かつ、主観の問題で他人からすれば私はネット詩人と呼ばれるものかもしれない。しかし、私の意識の上では、ネット詩人と呼ばれるような凄い人々とは全く違うヒヨッコであることを一応申し上げておく。