10/7 十大主星の未消化と、十二大従星の未消化の「宿命を逸れる」ことの現象の現れ方の違い
昨日の続きです。
昨日は、若年期の十二大従星が未消化の場合に起こる「性格のねじれ」、「運命のねじれ」の構造についてご説明いたしましたが、本日は、それについて事例をもってご説明いたします。
日頃より、しつこくご説明している十大主星の未消化というのも、宿命の未消化・宿命から逸れることになり、それももちろん、淘汰の原因となるのですが、
十二大従星の未消化というのも、同様に宿命の未消化・宿命から逸れる、ということを引き起こし、同様に、淘汰の原因となります。
但し、「十大主星の未消化」のによる淘汰というのは、自己完結的に命や存在感が損なわれる…というかたちで現れる、比較的静かにして、自己完結的にその淘汰の現象が起こる一方で、
「十二大従星の未消化」による淘汰の場合、それも当然に、命や存在感の喪失につながるには違いないのですが、その現象化の現れ方は、他人への影響も大きい現象、他人を巻き込む形での淘汰の現象となる傾向にあります。
つまり、十大主星の未消化と、十二大従星の未消化は、同じ「宿命の未消化」ではあるのですが、その間には、違いがある…ということで、
ご相談を受けられる場合においても、両者の未消化は、必ずしも同じではない、ということに留意しておくことが重要です。
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