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11/12 物事の開始に大事なこと⑭ 人生哲学という精神の軸、軸が弱いと転ぶ、軸が強すぎると苦しい

本日は、「物事の開始」についてご説明している続きです。

前回は、陰占から、
有形・現実の世界における実力の発揮と、
その実力の発揮を順当に社会・世間から認識されるかどうか?
…ということについて、
日干支と月干支から捉える見方について説明しました。

そこで月干支を使う、というその考え方が、
日ごろ馴染みのない考え方であるので、丁寧に説明したつもりですが、
多少、思考の慣れが必要な部分でもあり、
理解しにくかった方も、ひとまずその理解を保留にして、次に進めて頂ければと思います。

さて、本日は、
有形・現実の世界において、社会・世間から、
人生哲学が見事なものとして確立されるかどうか?
…ということの見方についてご説明いたします。

人生哲学、と、一言で書きましたが、
政治家であれば政治信条、経営者であれば経営哲学ともいえ、
いってみれば、
「揺るぎない自己の信念、行動指針、堅固に自己の存在を維持する精神の軸」
…を総称して、人生哲学といっています。

天干一気の精神の一貫性とか、
人生哲学の堅固さ、見事さとかいうものは、
現代において日々の生活を送っていると、その重要性がピンとこない、という方も多いと思うのですが、

例えば、同じようにみえる竹籠でも、
職人がつくった籠というのは、簡単に壊れない、ほどけないもので、
これは、細かいところまで「気が活き届いている」ことにより、それが「精神」の為せる業であり、

例えば、チームでプロジェクトを成し遂げる、という場合でも、
揺るぎない「経営哲学」を堅持している経営者であれば、
チーム内で摩擦や混乱が起こったり、手ごわい競合や大きな失敗など不測の事態が起こったりしても、そのチームをまとめてゴールまで行きつくことが出来る一方、
信条も哲学もないリーダーがプロジェクトチームを率いてしまうと、些末な失敗一つで混迷を極め、チームが空中分解してしまうことになります。

そんなふうに、「現実に何が起こるか」に関わらず、
現実に「芯を入れる」ことができるような何か、
現実を「芯でもって牽引する」ことが出来るような何かが、
天干における精神であり、人生哲学・政治信条、経営哲学といったものであるといえます。

月干=夢であり、現実がどんなに壊滅的でも、夢一つで頑張れる、
年干=人生哲学であり、現実がどんなに悲惨でも、人生哲学が自分の背筋を伸ばし立たせてくれる、
…というようなもの、といえば、伝わり安いでしょうか。

さて、本日は、その人生哲学が、有形・現実の世界で揺るぎなく屹立(きつりつ)する人物か?
…ということについての説明です。

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