
3/23 陰占から人生の完成形を捉える③ 身強と合法・身弱と散法の組み合わせが合う理由
昨日の続きです。
陰占から人生の完成形を捉える続きです。
今回ご説明している「陰占の細かい見方」が身につくと、
命式の6文字だけでいろんなことが分かるようになりますが、
先日のタペストリー的な命式の見方とセットにして、
例えば、家族や、チーム・組織などを眺めると、
その人物がそこにいる役目や役割、
さらにその家族・家系や、チーム・組織が、
今何をするべきなのか?
どこに向かうべきなのか?
…ということなども見えてきます。
物事というのは何事も、「偶然」には起こらないもので、
そこに集団があるなら、その集団を構成している人たちというのは、何かしら必然的な目標・目的があって共に存在しているわけなので(本人たちにその自覚がないにせよ)、
集団を構成する人たちの命式を細かく読み取っていくことは、
「その集団の導かれる先を示す絵」が記されたパズルのピースを一つ一つはめ込むことに似て、
その集団が向かうところの全体像、全体の方向性が見えてきたりするのです。
もっとも、世の中には、「破壊的」に見える集団(例えば、厳しい内容の家族や両立しにくいメンバーで構成された集団)でありながら、
揺るぎなく円満な関係が築かれているケースというのもあります。
例えば、その集団をけん引している人(社長や世帯主など)、あるいはそれを補佐している人(ナンバー2や、世帯主の配偶者など)が、
○確りと徳を積み、
○正しい生活(清潔な家庭環境や、正しい生活習慣など)を維持し、
○神仏を祀り、お礼参りを欠かさない
…などにきちんと取り組んでいるようなケースでは、
「破壊的」に見えるその集団(命式の集まり)が、絶妙なつながりとして発現され、
円満にして安定的な組織や家庭が築かれていることもありますね。
なぜ、こうしたことが起こり得るのか?
というのは、昨日、メインブログに書いた内容に答えがあります。
つまり、位相法をはじめとする陰占の要素に基づいて起こる現象はあくまで「現象」であってそこに良し悪しはなく、
陰占から捉えることができるのはすべて「客観的なカタチ」であって、
あくまで、外形的な結果、中立的な事象・現象の発現であるために、
いかに命式の集まりとして捉えたその集団が破壊的に見えたとしても、
その命式の集まりが後天運なども含めて絶妙な組み合わせとなっているような場合には、
極めて生産的かつ発展的なかたちで現象化することもあるのです。
このように、陰占を捉えていくときには、それが常に、
外形的な結果、中立的な事象・現象の発現である、という理解はとても重要です。
さて、前置きが長くなりましたが昨日の続きです。
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