解離性障害と私

真っ白な世界。その世界が普通だと思っていた

私は、幼少期から真っ白な膜に包まれて生きてきた。
どこか、自分ではない、そんな気持ちで毎日を送っていた。
小学校に入学すると真っ白な膜に包まれていることが当たり前になっていき、「私、生きてるよね?」と自問自答する日々。でもそれが普通だった。

そう。その時には「解離」というものに足を突っ込んでいたのだ。
何も知らず。
そうして、段々歳を重ねていくことになる。

自分が引き裂かれた瞬間。

そんな私が歳を重ねていくごとに、自分がまるで引き裂かれたような状態になったのだ。「解離」というものにどっぷりと浸かった瞬間だった。
私の感情、私の想い、すべて私の中から消えていった。
挙句の果てには、日々の記憶まで薄れかけていった。「健忘」だ。

そうして大人になった今、私はその日その日で記憶を失くしてしまうという状態になった。
寝て起きたら記憶がリセットされる。感情も記憶も想いもすべて。

主治医は言う。「何かのSOSではないか」と。
ただ、幼少期から日常の様にあった離人感のせいで私が私の気持ちに触れることができない。もちろん「何か」という曖昧な言い方で伝えられても余計にわからないのだ。

私が生み出した私の感情を持つ人格たち。

もうひとつ私が他の人と違い点がある。…と言っても私にとっては普通だが。
それは「人格たちがいること」。

この感覚は世間一般の人にはわからないらしい。
簡単に説明すると「私の感情等を受け持った私の分身的な存在」だ。
ただ、分身と言っても私がそのまま分身したわけではない。
私の場合、小さな女の子や男の子、なぜか英語を話す子等に分身している

こういった人格は自分とかけ離れていることが多い。
ただ、記憶等は分身しているという不思議な感覚らしい。
何度も言うが、これらの現象は私にとっては「普通」なのだ。

普通ではない。その事を受け入れられない。

私にとっては「普通」だが、世間一般的には「普通ではない」
この事を受け入れるのには時間がかかる。
今でも「あれ?これはどっちだ?」と疑問に思うことも少なくない。

ただ、周囲の支援者の方々のおかげで、ある程度認知しはじめてきた。
私の「普通」はあくまで「病気が起因している」ということを。

これからのこと。そして、未来へ。

これからどうしていくか。病気とどう上手く付きあうか。
とりあえずそのまま生きてみようと思う。自分らしく。

病気でも、やりたいことをやって、欲しいものをある程度買って、働いて。
そんな生活を当たり前にできたらと思う。

そして未来へ。

両親は当然私より先にいなくなる。
その時のために自立をしなければいけない。

これらはまだまだ先のことだが、今からの準備は必須だ。
意外と私は前を向いて歩いていた。

そんな私に気づいたのは、まず一歩進歩ではないだろうか。

―Endー

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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