短編小説「スマホに棲む」
親指一本で濁流に飛びこんだ。
決死の覚悟をする前に
もう体は動いている。
突然大海に放りだされた私の体は
早々にあらがうことをやめ
流れに身を任せた。
※
『SNS依存で増長する現代人の歪んだ自意識』
『ながらスマホの年間総時間数を調査』
朝イチでネットニュースに目を通すと
定期的にこんな見出しが飛び込んでくる。
情報過多の現代を語る専門家の記事は
スマホの画面を右から左に移動するばかりで
SNS徘徊のルーティンをとめる
きっかけにすらならない。
何を求めているのか考える間もなく
新しい波が次へ次へと押し寄せる。
街を歩く誰も彼も
手のひらと一体化したスマホに目を落として
たまに思い出したように顔をあげては
今いる場所を確認して
どうにか迷子にならないようにしている。
内と外を隔てていた脳みそは
いつから溶けだしたのか、
とめどなく だらしなく
垂れ流しになっている。
あなたは誰なんでしたっけ。
私は誰なんでしたっけ。
この思考は誰なんでしたっけ。
この言葉はどこから生まれたのでしたっけ。
※
一昨年の夏、ダイレクトメールが届いた。
会ってみると写真どおりの人で
仕草も話し方も想定内で
ああ 悪くないかもなと思った。
目を見て話して 触れてみたら
鼓動は鳴っていて
香水のむこうに肌が匂いたつのに
どうしてだろう。
人間だと思えなかった。
良くも悪くも、画面どおりの人だった。
その人が私を大切にあつかうので余計に
私は混乱した。
何をして 何を話して 何を伝え合えば
日常にその人を落とし込めるだろう。
何をもって その人は私の存在に満足したのだろう。
いつ SNSの私を忘れてくれるだろう。
いくら向き合っても生身の影に虚構がちらつく。
その人は違ったのだろうか。
混乱をひも解くには時間がかかりすぎて
私から別れを告げた。
※
その日は土砂降りだった。
強風にあおられながら見た街路樹は
秋色の葉をすっかり落とし
寒々しい枝を心もとなく広げていた。
最終近い時間になっても電車はこなかった。
ざわざわと立ち尽くす人びとと
状況もわからず待ちぼうけをくらっていたあの日。
駅のアナウンスが聞きとれず
近くにいた男の子と言葉を交わした。
改札前のホワイトボードを見て
ようやく帰れないことがわかった。
どうしよう、まいったなと思っていたら
先ほどの男の子が駅員と話したのち
「どうしよう、まいったな」とつぶやいた。
帰れない落胆よりも
同士を見つけた安堵で笑いがこみあげる。
ふと顔を見合わせ
開き直った私たちは街へ出た。
ボーリングをしながらお酒を飲んで
たまたま地元が近いことがわかると
深夜のテンションも手伝って
旧友のように盛り上がった。
格好つけもせずその場で楽しんだあと
別れ際に彼が
「なんかSNSやってる?」
と何となしにスマホをとりだした。
私は逡巡したのちに
一期一会の愛すべき儚さよりも
確実なつながりがほしくて
つい教えてしまった。
いまだに一度きりの彼の日常が
一年以上タイムラインに流れてくるのを
私の無機質な親指は今日もスクロールしている。
生身の彼が陳腐なSNSの渦に
飲み込まれてしまった。
画面では、
あの男の子が仕事で表彰されただとか
キックボクシングを始めただとか
恋人と旅行に行っただとか
深夜に思いついた人生観だとか
そんな内容がつらつらと並んでいる。
悪いことをしているわけではないのに
私生活をのぞき見ているようで
口のなかが苦くなる。
きっとすこし、ひさしぶりに
あの日の私は人の熱を感じとれていた。
スマホを介さない大切な思い出として
記憶にとどめておくべきだった。
思いをめぐらせるのはほんの一瞬。
情報の濁流は私の小さな気づきを
今日も飲みこんでしまう。
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