持っている力を信じるということ
大学の時にエンゼルケアの講義を取りました。この講義は最終演習科目といって全員が取れるわけでは無くて。今大きい病院ではほとんど業者さんがエンゼルケアを行っており、看護師がエンゼルケアをする事が少ないのも影響しているのでしょうか。元々この分野が大好物な(言い方が悪い)私からしたら、こんな大事な講義必修じゃないのかとプンプンしながらも、案外希望者が多くジャンケン大会になりました。やっぱり知っておきたいですよね。うんうん。
ちなみに私はグーで勝ち抜きました。やったあ。
この講義では実習先の看護師さんを外部講師に迎え、自分たちでロールプレイング台本をつくり実践するという物でした。最後の最後の演習で患者役になり、1ミリも動いてはいけない演習になるとは思わなかった…。
講義や演出をする中で、とても印象的だった言葉が、今回のタイトルです。
色々な学習をした結果、大切な人を亡くした家族に結局看護師はどこまで介入して良いのかが分からなくなってしまい、質問をした時に外部講師の先生が教えてくれた言葉でした。
遺された家族というのは、深い悲しみの中で、これからどうしようと考え、自分たちの持っている知識、情報を駆使して乗り越えて行く力が必ずある。看護師が全てを家族にしてあげなきゃいけないとは思ってはならないと先生は言っていました。家族が持っている、乗り越える力を信じるというのも看護師の大切な役割だと。
この言葉を聞いたとき、果たして私はどれだけ家族を信じる事が出来るだろう、なんて思ってしまいました。少しヒヤッとした感覚がありました。それはどこか自分の中で、大切な人を亡くした家族の事を、看護師の力が無くては何も出来ない人たちのように思ってしまっていたからではないかな。全て"してあげなくては"という気持ちがあったと思います。なんと怖いことだろう。
私が『家族の為に』と思って関わろうとしていたことは、もしかしたらその人達が持つ、”乗り越える力”というのを奪う事だったのかもしれません。そして、自分の中で、分からないことがあったり、直ぐに答えの出せない状態というのが、悪い事というイメージがどこかあるんだろうということにも気付きました。そんなことは無いじゃない。寧ろ全て分かりきっていたり、直ぐに答えを出していたら怖いじゃないか。
しかも、分からなくて自分たちで模索するという事は遺された家族に限らず、これまでも私達がやってきた事です。ああ、そうか、それは大切な人が亡くなった時でも同じなんだと思いました。
看護師になって2年。私は今目の前の患者や家族が持つ力を信じる事が出来ているでしょうか。未充足な部分にばかり目を向けていないでしょうか。
信じるためには、まずどんな力を持っているのか見極める所から始まります。関わる中で人となりを知りながら、持っている力を信じ、必要な時に介入し、これからも看護をしていきたいです。そんな独り言。
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