松浦宮物語における夢

第一章 はじめに

松浦宮物語は、無名草子の記述によって藤原定家作と考えられている鎌倉時代初期の作り物語である。話の筋は、渡唐や秘琴伝授、転生、合戦と、宇津保物語(とりわけ俊蔭の巻)や浜松中納言物語の影響を多大に受けている。この作品は無名草子では「愚かなる心も及ばぬさま」とあり、必ずしも手放しで賞賛されているわけではない。それは、この作品の構成が様々な場面を盛り込みすぎたために、場面ごとのつながりがうまくかみ合わず、話の内容も先行作品の模倣に終わり、独自性に乏しいからではないか。しかし、そもそも定家の関心は作品の筋にはなかったのではないだろうか。定家はこの作品において何を言うかではなく、どう言うかに絞って表現を練りに練り上げたように見えるのだ。定家の多くの物語について、無名草子で「ただ気色ばかりにて、むげにまことなきもの」と評されていることも同じことなのではないかと思う。それは、定家が和歌を詠む専門家であったこととも関係していよう。松村雄二氏はこの作品を「幻妖なる情緒を和文の形でどこまで書けるかを試みた実験的な作品」と位置づけているが、作品全体の評価としてこの表現は実に的確である。この「幻妖なる情緒」とは定家が和歌において表現している世界であり、この作品で彼は自らの和歌的世界観を和文で表そうとしたのである。このことは作品全体からのみならず、作中語句からも読み取ることが可能である。そのことをこの作品に頻出し、定家自身が偽跋において指摘した「夢」という重要語句を取り上げて説明しようと思う。

第二章 諸作品における夢

第一節 量的比較

松浦宮物語には「夢」という語が頻出すると述べたが、それが果たして適当かどうか表により諸作品と比較して検討してみる。

(作品は、現存する部分に限る。また、頻度とは、それぞれの用例の、本文一万音節における頻度)

諸作品における夢の話や語の数を比較してみると、いずれも源氏物語が最も多い。しかし、源氏物語は総音節数が他の作品に比して極端に多い長編物語であるため、語数が多くなるのも当然である。よって、各作品をそれぞれ本文一万音節あたりの夢の語の頻度で比較すると、源氏物語における頻度はそれほど高くないことがわかる。
夢の語の頻度が目立って高いのは、浜松中納言物語、更級日記、そして松浦宮物語である。このことから、これらの作品では夢の語が諸作品と比して明らかに頻出することが共通しているといえる。更級日記と浜松中納言物語の共通性は同一作者の手によるものと説明できるが、松浦宮物語との共通性は後で具体的に考えてみる。いずれにせよ、松浦宮物語は諸作品と比較して夢の語が頻出すると言ってよいだろう。

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