美味しいイチジクコバチになりたい
鬱を治したい、ではなく鬱に辛いという。それをとても正常に思う。なぜなら、鬱が均衡のために生まれたものと無意識に知っているのかもしれない。
鬱が辛いのでなく、鬱である自身が辛い。
イチジクコバチは、いちじくの中にしか卵を産めないという。そして、いちじくの繁殖は、このイチジクコバチの媒介によって受粉する。共生とはダーウィンの種の起源を以てするなら自然選択なのだろう。しかし、それは奇跡にも値する。
ひとは、鬱の媒介によって均衡を得ようとする。しかし共生は奇跡に近く、近づくことは容易くない。変化は誰しもが惧れる必然に鬱は、自身に変化という名を付けて知らせた。生きるための鬱。
苦しみでしか知れないことがあるなら、それは鬱のせいではないだろう。
誰しもが美味しいイチジクコバチになりたい。