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みたび死んだ金魚

みたび死ぬには、ふたたび生きなければならなかった。
至極当然に、それは訪れた。
 
 
最初は、
そう考えたときいったい何れが、何時が最初だったのかというモェビウスが現れる。至死不渝。わたしたちは、どれもがそうであるということだけを知る。

順は定かにないけれど、ひとつの死は根腐れだった。
生まれたからといって真っ当咲くわけにない。とはいえ咲かぬからといって死ぬわけでもない。根腐れするには相応しく何かがある。それだけのことだった。土壌や水の善し悪しなんて知る由もなくまっとうした。
 
 
なぜ生まれ、生きるかほどに至ることもなく、しこうじて得たものは鏡。然うしてまた、ふたたびは訪れた。

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