世界一周回顧録②ベトナム‐中国国境越え
<2009年4月、神戸港からフェリー新鑑真号にて日本を出発し、極力空路を使わない世界一周へ出発。回顧禄として残しています。情報は全て2009年当時のものです>
5月6日 夜 ハノイ-ラオカイ 夜行電車8時間
5月7日 朝 ラオカイ着 サパまで移動
5月8日 サパ
5月9日 サパーラオカイ(ベトナム側国境)乗合バス、そのまま中国へ再入国、夜行バスで雲南省昆明へ
サパはとても落ち着いた田舎町で、民族衣装を着た女性をたくさん見かける。
以前ラオスで会ったことがあるモン族という民族が多く住んでおり、街を歩けば多くの民族衣装を身にまとった女性たちと会う。
残念なことに天気は優れなかったが、街をのんびり歩くだけでとても楽しい。
久々にゆったりとした時間が流れる。
地図はないが小さな町のため、方向音痴でも迷わずに見て回ることができる。
それにしても
腹が減った。
市場でフォーを食べることにする。
パクチーがどっさりとスープに入り込んでいる。
私はパクチーが大の苦手である。
ほんの少しでも口の中に入れてしまうともう・・・
考えただけで頭が痛い。
でもフォーはとてもおいしそう。
店のおばちゃんには申し訳ないが、事情を話して一つ一つ取り除く。
必死にパクチーと戦う私の姿を見た通りすがりのモン族のおばちゃんは一緒にスープに浮かぶパクチーを探してくれる。
おばちゃんと共にパクチーをきれいに取り除いて、大変美味なフォーを食し、大満足してしばし休もうと宿に帰る。
すると
この世の宿敵、Gがお出迎え。
私のくつろぎ計画は一瞬にして消え去る。
大変迷惑、かつ最大の危機的状況である。
呼吸も思考も停止。
今まで私は幾度となく安宿に泊まり続け、インドですらヤツと遭遇したことはなかったというのに・・・
なかなかの度胸である。
しかし残念ながら私はその度胸に応えたくない。
助けを呼ぼうか。
でもその間にヤツがいなくなったら
今夜の私の睡眠が確保されることは極めて困難。
仕方ねぇ・・・
部屋を見渡し、武器になるものを探す。
新聞紙発見。
絶対に逃すまいと意を決してぶっ叩く。
すると
ヤツはどうぞ叩いてくださいと言わんばかりに動かなかった。
まさかの即勝利。
呆気にとられる。
世界中で嫌われているというプライドはないのか。
動きはまるでカブトムシに憧れているかのよう。
しかし・・・
どっからどう見ても見た目はヤツだし、大きさが半端なくてどうしてもティッシュで掴めず、ほうきと塵取りで外の茂みにぶん投げる。
ホッと一息ついて、部屋のドアを閉めた
ら、
宿のドアのガラスが割れ、私に降ってきた。
なぜ。
もう、笑うしかねぇ。
今度こそ宿の助けを呼び、片づけとドアのガラスにビニールを張って応急処置をしてもらう。
そのついでにさっき現れたヤツの話をして、一応殺虫剤と、ビニールの隙間から蚊が入ってこないように蚊取り線香を置いてくれた。
こうして私の安眠は確保されたのである。
そして翌日、朝早くにチェックアウトしたにもかかわらず、乗り合いバスの人数が全く集まらず、4時間待つ。
長い。
客引きのお子らと遊んで待ち、やっと正午出発。
14時、中国との国境ラオカイ着。
今まで国境は陸路で幾度となく超えてきたが必ずバスやら電車やらバイクやら船やらの交通機関を使って越えてきた。
でも今回は初めて自分の足で歩いて国境を越えることに。
しかしこの国境周辺情報が地図含め何を見ても載っていない。
行けばどうにかなるだろうとラオカイに来てみたものの、乗合バスを降りた場所から国境まで割と距離がありそうである。
暑いし、荷物重いし、地図ないし
是非ともバイタクで国境近くまで行きたかったのだが、出国直前のためベトナムの通貨ドンを使い果たしている。
どうしようかと考えているとバイタクの兄ちゃんに話しかけられる。
国境まで連れて行くよと言うも、私の金はない。
その兄ちゃんはとても親切で安い額だったのだが、何度財布を見ても私の金はない。
越境直前に金なんておろしたくないし、そもそもATMはおろか、店すら見当たらない。
当然、タダで行ってくれるわけもないため国境方面だけ教えてもらい、歩き出す私。
するとバイタク兄ちゃんは失笑しながらついてきて「歩ける距離じゃない」と。
知ってる。
しかし金がないものはない。
真顔で歩き続ける私。
しぶとく付いてくる兄ちゃん。
結局15分くらい歩き続けながらバイタクの兄ちゃんと話していたら、兄ちゃんは笑いながら「負けたよ!!あんた面白いな!お金はもういいから乗りな!」と。
え、なんて?
なんなの?
神なの?
神だよね?
いい人がすぎるってばよ!
こうして神が降臨したことにより、私は無事に国境に着いたのである。
最後、記念にバイタク兄ちゃんと写真を撮ったのだが、そのとき、私の財布の中に残された15円ほどの金を見せると額が少なすぎて、その兄ちゃんはある意味記念だと、満面の笑みでその残金を写真に写していた、笑。
本当にありがとう、あの時のバイタク兄ちゃん。
そしてイミグレ目の前で私が荷物を置いて少し休憩していたら、今度はイミグレの兄ちゃんが心配して私の入国カードを全て書いてくれた。
はい、ここにも神降臨。
荷物チェックもなく、無事再度、中国入国完了。
中国人のおっさんに筆談でバス停を教えてもらい、行くと英語堪能な中国人が私のチケット買う手助けをしてくれ、去っていった。
やっぱり中国人もいい人。
こうして多くの人々に助けられて旅は成立するのだと実感。
感謝と共に、この一期一会のためにも旅はやめられない。
つづく。