違和感の原因解明ができたーー ・・27話
神社嫌いな子どもだった私は
2021年2月 新月の日に
ふしぎな体験をしたことから
身近なご先祖だけではない
大いなる集合意識体
サムシンググレイトの
愛の意図していることを知り
人は誰もが幸せになる義務がある
それらに気づいてゆるす
成長プロセスにいる …..
と受けとりました
今日も感じたままを綴ってまいります
今回 書かせていただく内容は
正直 とても悩みました
というのも
最初の予定では
全く書くつもりがなく
これまでの私は
文章を書くことが苦手と
思い込んでいたため
うまく上手に書かないといけない
という囚われから脱却を試み
あえて書いてみることで
チャレンジしてみたい思いが
強かったんだと思います
ここまで
思いのまま書くことができ
その間にもいろんな体験をしてこれて
私の魂の成長は
日々進化しております
そして
今回のある出来事を
書きたくなってきている
自分の気持ちを
星になった伯父ちゃんに
聞いてみました
「ああぁ 全然かまわんよ
好きにしなさい
あなたのやりたいように
やってごらんなさいな
その想いの方があなたの真実なら
多くの応援が入るんじゃないかね・・」と
言われた様な気がしました
今回はこんな感じ方
考え方 捉え方を
する人もいるんだなあ程度で
お読みいただけたらと思います
前回のお話し
⇩ ⇩ ⇩
私の車は
清水区庵原山から
藤枝市に向かっていました
そして
この時の私は子どもの頃から
何かにつけ感じていた
違和感の正体を知りたかった・・
こと神様について
知識の豊富な方に
神神社に来ていただくことで
紐解きのきっかけになる
と強く願って
信じていましたね
というのも
未知なる世界のことが満ち満ちて
(ジョーダン言ってる場合か・・?)
何がどうしてこうなって
このような違和感を
長い年月感じていたのか?
さっぱりわからなかったから
現地に来ていただけたら
解明の糸口が
見いだせるのかもしれない・・と
私の無意識はすでに呼び寄せ
この段取りをしていたのかは
分かりませんが・・・
ただただ天に任せて
流れに沿ってみようと
決意と覚悟はできていたと思います
一緒に立ち寄ってくださることになり
もうめちゃくちゃうれしかったぁ
理由も意味も分からない違和感が
一番強かった・・
それにくっついていた
嫌悪感や疎外感というものは
曾祖母の想念による
多大な影響を受けていたことは
この時すでにわかってはいたものの・・・
正直なところ
まだ心のすみっこに
違和感の残像があったわけなんです
拝殿の前に立ち
ごあいさつを済ませた後
お賽銭箱の横に描かれた
祝詞を見たその方から
意外なことをお聞きできました
その祝詞はご祭神である
オオクニヌシ命 (オオモノヌシ命)の
祝詞だと仰るのですね
でも
拝殿奥の正面には鏡があり
その方がおっしゃるには
鏡はアマテラス命の象徴であるため
ここに書かれる祝詞は
本来ならばアマテラス命の
祝詞であるはずなんだが・・
そう言われて
私はこれまで一度も
ここでこの祝詞を
読み上げたことがなかったって
ことに気づいたんですね・・・
だからかあ・・・
拝殿に祀られているご祭神と
祝詞の不一致
そりゃあ
違和感あるあるだわーー
なぜ?
いつからこうなったのか?・・・
二柱の神様は
この地では何も申さず・・・
ただ 家系的なところにも
サインを出していらっしゃる
そのことは私の胸の内に
しまっておくことにしました
そして
オオモノヌシ命が
祀られているとされるならば
三つ鳥居を正面に
見れる位置のはずだと
その場所を教えていただきました
そこから
三つ鳥居の向こうに見えたのは
杉乃坊と言われる杉のご神木です
私にとっては
祖父母の存在を
その根元で感じた大杉
その裏側の森は
時代の変遷とともに
自然形態も変化し
住宅地となりました
以前は豊かな森だった
小山の多くの木々が伐採され
その苦渋の選択をした
今は亡き伯父ちゃんと
従兄の気持ちは
計り知れないものがあったと
推測できます
以前そのことを
伯父ちゃんから聞いた際に
100年後の未来の
子ども達のためにと考え決意した
と俯きかげんに
言ってましてね・・・・
伯父ちゃんの声から発する
そのエネルギーには
無念と悲しみが
色濃くあったことを
母と私はしっかりと
受け取ることができました
そりゃあぁぁ そうよぉ・・
丸裸になっていく森の現状を
毎日・・
目にしなければならなかったんだし
胸が痛まないわけがないぃ
自責の念だって出てくるのは
私にだって
容易に想像できること・・・
・・・でした・・・
(´;ω;`)ウゥゥ
大いなるリリース リセット
サムシンググレイトの意思を
感じたのでした
そして数年前に
100年後の未来のために
植樹された
その杉の子たちが
すくすくと大きく伸びて
育っていくのを
私はこの年の2月12日
旧暦新年明けた
皇紀2681年睦月新月から
12月までの十月(とつき)の間
見守ることができて
本当に良かったと思って
おります
誰にもわからないように
裏手から杉乃坊さんの
根元に腰を下ろして
祖父母と語り合い
想いを馳せた
ひと時もありました
私にとって心から言(癒)える
特別なひと時
でした
あったこともないご先祖たちと
想念の交流ができ
波長を合わせ・・響きあい・・
こんなに幸せなことは
なかったくらいに感じています
そして
ここから私たちは
初参拝の焼津神社に
向かうのでした
この続きは
次回をお楽しみにー
今日も最後まで
お読みいただき
ありがとうございました💞
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