その場しのぎの楽観生活の末路
これ
誰にでも当てはまる
法則なのだが
(よく観てきた)
そんな面倒なものに
向き合うくらいなら
楽しい
を選べばいいよね〜
というような
その場しのぎの選択を
採用し続けていると
∴
脳が "楽" を覚えて
知らぬ間に
どのような波動で暮らしていくのか
まで 影響を及ぼしていく
∴
意識や無意識が
わざわざ現象界に
印として現れてくれて
とってもわかりやすいよう
報せてくれているのだから
それを放ったらかすことなんて...
∴
どのような結末が待っているのか
ごまかせたものではない
かなしいはなし
歳を重ねる毎に
目も充てられない例を
身近でたくさんみてきた
(もちろんわたしもそのひとり)
∴
そのような者に
言葉贈っても
届くはずもないから
伝えようがない
∴
我がそうであったから
よくわかってしまう
表面上は伝わったとしても
本質はきっと理解されない
∴
それ自体は哀しいのだが
もどかしいという
そのような想いも
今はもう
持ち合わせていない
∴
私は冷たいのだろう
自分の想うとおりに事が動かないことに
慣れてしまっている
∴
そして
我が精進事に
精いっぱい向き合う
そのような時期に入っているがゆえ
なるべく情報を遮断し
内と向き合うのだが
このフェーズにおいて
またそこで
出逢う人たちがいるのだから
わたしは
そこを
流れる
∴
都合の良い
楽観主義のかたには
甘い言葉だけが贈られ
そのうち
だれも
なにも
言ってくれなくなる
∴
原因は
その人だけではなく
育った家庭環境なども
おおいに含まれてくるだろう
それは
ある意味
犠牲者みたいなもの
とてもじゃないけど
親に感謝しなさい
とは
わたしには言えない
(真意はそれでも腹を痛めて
この世に産んでくださった
感謝の対象でしかないが)
∴
わたしは
たくさんの犠牲の上に成り立っている
そんな
もがいている方々の
上で
それに負けぬよう
わたしももがく
氣持ちのうえで
犠牲にはさせない
∴
向き合えるしあわせ
稽古できるぜいたく
有り難みを感じるいま
見せてくれる
あなたのおかげさま
氣付きをありがとう
弥栄