おにぎらずの具材と感情の関係を例えた話
心療内科に定期的に通っている身ながら、カウンセリングを受けるようになったのはここ1年ほどのこと。
主治医に勧められて、何となくだった。
誰かに自分のことを話す、という行動について、戸惑いを感じていたのだと思う。
理解されない、とか、理解される、とか。
今日になって、ふと気が付いた。
理解されるかどうかとは、全く違うところに意味があったと気が付いた。
カウンセリングは、だいたい30分。
自分のことしかしゃべらなくていい。
自分が困っていること、考えたこと、思ったことを、わんわんと喋るだけで、目の前がパッと開けた気持ちになる。
何というか、心が軽くなる。
考え方のヒントをもらったり、
気持ちを落ち着かせる方法を知ったり、
こういう考え方をしているとひも解いてもらったり、
自分のために、と考えてもらえる。
感情が落ち着き、気持ちがよくなって、また「今日に向き合うか」と自分を考え直すようになる。
だからカウンセリングを受けるのか、とようやっと気が付いた。
なんて気持ちが良いんだろう、と感じられるだけでも、相当にすごいことじゃないか。
なんだか得した気分になっているうちに、知り合いとランチを約束した日だったことを思い出した。
店では豆カレーとおにぎらず、それからホットサンドが売られていた。
頼んだおにぎらずの、中身はパンパン。
カレーコロッケ、卵焼き、あまからのちくわ、にんじんとキャベツのサラダ。
おにぎらずの中身は、どれもこれも味も好きだけど、自分はニンジンとキャベツのサラダが美味しいと思った。
ぎっしりと詰まった味を口の中でまぜこぜにしながら、今日、聞いたことを思い返す。
何か一つの目的があって、感情がそこに集中する。
しかし目的が果たせないと、向けられた感情が「しょんぼり」とする。目的が達成できていないからだ。
そしてしょんぼりした感情が、そのまま「今の自分の気持ち」として受け止められる。
すると全体も、しょんぼりする。
でも、実際は目的がたくさんあって、向ける感情もたくさんある。
今の自分の中に、しょんぼりじゃなくて、元気な感情もあるかもしれない。
おにぎらずでいえば、美味しいと思った具材かもしれない。
美味しい具材を、明日も見つけられるといいと思った日だった。