人はみな自分中心
「俺(私)のこと、全然わかってない!」
という言葉がケンカの中で用いられることがあると思います。
たしかに、相手は自分の良き理解者だと思っていれば、それが満たされなかったときは、かなりのストレスを感じてしまいます。
私たちは、同じ人間ではありますが、人間の種類(性格・行動傾向など)が異なり、人の数だけ価値観があります。
我々人類は、他の生き物と違って、一人一人が考える力を身につけたおかげで、人が他者の頭の中を理解することはとても難しいことになってしまいました。
少しスケールの大きな話になってしまいましたが、言語・非言語を含めたコミュニケーションは意識して使っていかないといけないなと私は感じます。
誹謗中傷や非難などはもちろんのこと、日常会話において何気なく放った一言が、相手を傷つけてしまったということも誰でも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。何も考えずに会話をすることはハイリスクでしかないとさえ思います。
◆自分の人生において主人公は自分である
では、何を意識していきたいか。私は、人はみな自分中心であることを念頭においてコミュニケーションを取りたいと思います。
もし、周りの人が全て自分の思い通りに動いてくれたら、こんなに楽なことはないと思います。
しかし、現実はそう思っている人「同士」であるがために、周りの人が全て自分の思い通りに動いてくれることは、まずありません。
私は、この現実の中でどう生きていくのがいいのかを常に考えています。おそらくこの答え(一般解)は私には出せません。自分に特化した答えすら、死ぬまでに出せるかどうかだと思います。
現時点でわかったこととしては、他人と脳の同期することは本当に難しいということ。それは、自分が感じていることを素直に言語化することが難しいこと。そして、相手が本当に感じていることを感受性豊かに理解することが難しいことであるということです。
◆言葉一つとっても、受けとり方がたくさんある
こんな会話を例に考えてみました。
「どうして、こんなことをしたの?」
これを聞かれた人は、なんと言われたと感じるでしょうか。
もうこんなことをするな。私はこれをされると悲しい。単純に質問をされただけ。あなたの行動は意味がわからない。ふざけるな… など。
私一人の感覚だけでもこれだけの解釈があります。
もちろん、これは文字だけなのでフラットにいろんな解釈ができてしまいます。実際の会話においては口調や表情を確認することができますので、どのニュアンスになるのかの可能性はフラつきがあります。でも今回はその部分についてはスルーします。
上記の例では、主張側は何が言いたかったのでしょうか。私が述べたいことは、ここで主張が終わってしまっては、回答側は主張側の意図に沿う回答がしにくいということです。最悪の場合は、解釈のずれが原因による意味のないケンカに発展してしまいます。
◆言葉の省略はしない方が…?
日本人は高コンテクスト・コミュニケーションをとる傾向にあると言われています。言葉は難しいですが、互いにわかりあえるということが前提で意思疎通を行う傾向にあるという意味です。自分の頭の中が、相手にもある程度すでに伝わっているという感覚が無意識に働いていることが要因で、あいまいな表現で伝えようとしたり、言葉の数を少なくして会話をしようとするらしいです。
たしかに私も以前は、いかにスマートに、かつ短い言葉で会話をするのかを意識したことがあります。しかし、仕事上においての会話であれば、この方がよい場面もあるかと思いますが、日常会話においては、言葉の省略はしない方が意識のすれ違いを回避できる確率が格段に上がると思います。
上記の「どうして、こんなことをしたの?」についても、聞いた側は、これをしてほしくなかったのか、ほんとに聞きたいだけなのか、これをした真の意図を知りたいのか などを明確にし、その場に応じた適切な表現で相手に伝える必要はあると思います。
でなければ、聞かれた側の出方次第では、会話の方向性があらぬ方へ進んでしまう可能性が高くなってしまいます。
そうならないためにも、聞かれた側も感受性ゆたかに質問者の意図を正確に汲み取るような対応をしたいところです。
◆自分の感情に向き合う必要性
相手へのメッセージの裏に隠れている自分の本当の気持ちはなんでしょうか。これを自分で把握してなければ、相手に伝えることができません。相手に伝わらなければ、自分の気持ちを理解してもらえる確率は低いです。普段から自分の抱いている感情を敏感に察知(理解)しておく必要があります。
これは訓練が必要です。私は、ふとした瞬間に自分は何を感じているのかを振り返るようにしています。このようにして、相手に自分の気持ちを伝えるようにすることで、相手に自分のことを理解してもらえる確率が上がり、「自分のことを理解してくれてない」と言わなければいけない場面も減ってくれるはず。ということです。
人はみな自分が中心であること、これを意識するだけでも、対人関係におけるストレスが少しでも減ることを期待しております。
(おわり)
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