裁判傍聴 住居侵入・不同意わいせつ 87歳に迫る21歳
恋愛における年の差というのは人それぞれ価値観は大きく異なる。年下が好き、という人もいれば年上がいいという人もいる。また当然だが同年代がいいという人も多い。
私はさほど年齢に対して特にこだわりはない。それよりも私を手のひらで転がしてくれる位の知性を有していてくれればそれで良いといたちだ。
ただこだわりはないとはいえ、あまりにも年上過ぎたり歳下過ぎると流石に苦しい気がする。ざっくり下は10つ下、上は15歳位上までだろうか。これをストライクゾーン広めとみるか、普通とみるかは人それぞれだろう。尤も、私のストライクゾーンが多少広めであったとしても私が女性側のストライクゾーンに入っていなければその先につながることはない。
そして、私が相変わらず独り身でいるという事がすべてを物語っている。
その日は朝からひどい雨が降りしきり、ガタガタと風が窓を叩く音で目を覚ました。
前の夜、魚を求めて運河筋を放浪しており夜ふかしをしてしまったせいで瞼がひどく重い。のそのそと起き出して濡れタオルを電子レンジにかけて蒸しタオルを作ると顔に押し当て、ゆっくり時間を掛けてヒゲを剃る。
それから熱いコーヒーを淹れる。前の晩にたらふく夕飯を食べたにも関わらず妙に腹が減っていたが、家に朝食としてすぐ食べられそうなものは何もなかった。仕方がないので茶菓子を朝食代わりにコーヒーを飲んで家を出た。
9時過ぎには裁判所に着いた。相変わらず廊下は不安になる暗さで、普段であれば窓から差し込む日差しで本が読める位の明るさを保っているがその日は空に広がる分厚い雲のせいで廊下は本を読むには些か暗すぎた。
法廷前に張り出されているセットリストには3件。午前は新件、住居侵入・不同意わいせつという初めて見る案件だ。
事件の内容故か、被告人の名前は非公開となっていた。調べてみた所、ここ数年は被害者特定を避けるために被告人の名前も伏せられるケースが増えているという。
少しすると廊下の電気が点灯され、やっと本が読めるようになった。といったところで法廷の解錠の音が聞こえた為、私はいそいそと入廷した。それから開廷までの15分程、病的なまでに明るい法定の最前列でのんびり本を読んで時間を潰した。
定刻前に初老の女性、頭髪が薄くなった男性と被告人と思しき男性、そして弁護士が入廷してきた。初老の女性は最前列、被告人席に一番近い席に座り、ハゲはその後ろに座った。
被告人は濃紺のスラックスにプレーントゥの短靴。白のカッターシャツの第一ボタンは外され、そこから野暮ったいクルーネックのアンダーシャツが覗いていた。この場でシャツやスラックスを着用する割にネクタイを締めたりボタンを上まで閉めないところに違和感を感じる。ファッションセンスが田舎の中学生的だ。ちょいワルである。
彼の第一印象は、髪型は刈上げの管理が成されていない肌の浅黒い進撃の巨人のリヴァイ兵長の様に思えた。顔立ちはめちゃくちゃに似ている訳ではないが髪型の雰囲気と、なにより顔に差す陰が限りなく進撃の巨人のそれであった。
定刻を周り、彼は証言台に立つ前に傍聴席に一礼した。その一礼は誰かに向けられたものというよりは、まるで壁を相手にしているかのようなもので、彼の一礼の後に向けられた目線の先には何もなかった。
現在彼は21歳で、比較的大きな町の近くにある地元では治安が悪いとされる町で生まれた。高校中退後、金属加工の仕事に就き現在に至る。
私の暮らす田舎では高校の中退というのは少なくない。私が卒業した高校でも3年間の内に私が知っている限りで5人程中退していた。私は社交的な方ではないのでもっといたかもしれない。
彼は祖母と父親、叔父との四人で暮らしており母親は離婚後別居しているという。他に姉が一人居るが現在は結婚しており彼女もまた別で暮らしている。
そんな彼は友人たちと、多いときで週に4回程のペースで飲みに出かけており、その日も普段と変わらず”車”で飲みに出かけていた。
その日は住宅街にあるアパートの1階にテナントを連ねるスナックで飲んだ後、そこから車で9分程の場所にある「幸福」という意味の名前を冠したスポーツバーへと向かった。そこでも飲酒を重ね、2件の累計で20杯以上飲んでいたという。そこまで飲んでいては幸福など感じる余白など脳になかったのではないかと思う。
その後、午前5時過ぎに友人等と別れて帰宅した彼は自宅の車庫に車を置くと、そのままの足で自宅ではなく隣家に上がり込んだ。
その家には87歳の女性が一人で暮らしていた。彼は施錠されていなかった玄関から堂々と上がりこむ、廊下の突き当たりにある女性の寝室へと向かった。そして、ベッドで寝ている彼女の掛け布団と毛布を一気に剥ぎ取ると、覆いかぶさってキスをした。
それに抵抗し、声をあげる女性の首元を押さえつけ胸や陰部をまさぐるも女性が声を上げ続けた為、男は諦めて現場を後にし帰宅するとそのままベッドに潜り込み眠りに付いた。
彼が目を覚ました時、悲鳴を聞きつけた近隣住民や被害女性の通報により駆けつけた警察官が枕元に立っていたという。
おはよう逮捕というものがあるが、それはあくまでも容疑者の逮捕に際し不在で空振りを防ぐために行われるものである。本件も奇しくもおはよう逮捕となった訳だが少し違う。目覚めたその時、彼はどんな気持ちだったのだろうか。
逮捕後、彼は事件についてスポーツバーで飲んでいたことまでは覚えているがそれ以降は一切覚えていないと供述をしていた。しかし被害女性の証言に加え、現場に残されていた電子タバコの吸殻などの証拠などが彼の犯行を裏付けていた。
彼はそれに対し、まさかとは思ったが証拠があるからということでそれについては争うつもりはないという。それは記憶がない後ろめたさからか、あるいは自覚があったからか、それを知る本人はそれ以上口を開かなかった。
彼と共に法廷にやってきた女性は彼の祖母であった。証人として証言台に立った彼女の背筋は曲がっており、足取りはどこか弱々しかった。
彼女は被害女性とも交流があり仲が良かったと言う。彼女はこの事件について「若い人相手ならまだしも、まだ信じられない」と語った。信じたくないという気持ちはわかるが、それでもどこか他人事というか、被害者に対しての気遣いが些か足りていない様子に違和感を感じる。若い人相手ならまだしもじゃあない。逆に若い人相手ならばやりかねない生活態度だったとでもいうのだろうか。おそらく何も考えずに口をついた言葉だろうがどうしても目についてしまう。
また、孫である被告人が頻繁に飲みに出かけては朝帰りをし、30分程仮眠をとって仕事に向かうといった生活態度や、飲みに行く際に行われていた飲酒運転などについては「親じゃないからとやかく言えない」などと耳を疑う供述をしていた。そういった発言からも彼女と被告人の関係性というものが垣間見れる。こういう所が先述した違和感に繋がっているのだろう。
食事の世話などはするが、根本的な教育という面については親の仕事だと考えているようで、自分には責任がない(あるいは少ない)という意識が伺えた。それでも被告人の飲酒運転を黙認していた事実については彼女の責任も大きいように思える。
そして当の両親だが、母親は別居しており父親は勤務形態などで時間が合わない為、顔を合わせることがなかったという話だ。そして法廷には両親の姿はなかった。
常習的な飲酒運転について、本人は「楽だから」「気が弱くて」と話していたが、実際のところは環境要因というところが一番だろう。少なくとも私の周りの人間は私が飲みに出かけるのに車でやってきたら止めるだろうし、逆もまた然りである。止めず、それに乗っかる友人達や黙認する家族、そういった環境的な要因が占める割合が大きいように思う。
また、友人からは彼の酒癖の悪さを指摘する声が上がっていた様で、飲みすぎると店の前をウロウロしたり、立ち小便をしたり、店内で知り合いが居ると話しかけにフラフラしたりとする様子があったという。それでも彼は友人からの声を軽く流し、飲酒を控える事はなかった。
おそらく仲間内で騒ぐ”楽しい”時間の範疇として捉えていたのだろう。
事件後、被告人は姉夫婦の家で暮らしており、その監督下で更生をはかるために同じアパートの一室を契約する予定だという。彼が乗っていた車も現在は姉の旦那が管理しており基本的に運転をすることが出来ない状態にある。それと併せ、今後は飲む量を減らし、付き合い以上には飲まない様にして家族内での声掛けを行っていくという。
検察より「声掛けとは具体的にどの様なことを声掛けされるのですか?」という質問が投げかけられており、それについては「気を付けて」「飲みすぎないように」と声を掛けるというものだった。果たして「飲みすぎないように」と言われて飲みすぎない人がどれだけいるのだろうか。大の大人が揃いも揃って何を言っているのか。気をつけて、なんて言われる前に酒は飲みすぎないものだろう。20代前半ならば1〜2回の失敗は仕方ないがそこから学ばず、先述した様な生活を送っている時点で足りないのは注意喚起ではないというのは明白だ。
また、彼が飲酒運転しなかったとしても彼の属するコミュニティの人間が運転する役割を受け継ぐだけではないだろうか。こういった犯罪を減らすには「それを良しとするコミュニティ」に属さないというのが一番大切なことだろう。実際、他の友人が車を出す日もあったという。
彼は終始、飲酒運転や酒癖の悪さについて「軽く考えすぎていた」と供述していたが彼らが講じるという対策自体も軽すぎる。酒が原因だと言い張るのであればもう酒を飲むな。まずはそこからだ。軽いのは考えではなく倫理観である。
この事件に至るまでに彼は常習的に飲酒運転を繰り返していた訳だが、記憶を無くすくらい飲んでいながらそれなりの距離を運転していて今まで大きな事故にならなかったのはちょっとした奇跡である。
彼が飲んでいた店の周辺は大通りに面していたり、住宅街の中にあったりする。そういった面を鑑みても事故が起きた場合、人命に関わるものになっていた可能性は大いにあり得る。
彼の行った飲酒運転も、飲んで一晩しっかり8時間寝た上でもアルコールが残っており、無自覚に行われてしまうそれとは大きく違う。そこも極めて悪質だと言える。
また、記憶を失って(という供述だが真偽の程は分からない)いたとはいえ、なぜ彼は隣家の女性の家に入り込みこの様な事件を起こしたのだろうか。それについては被告人が記憶にない、ということでそれ以上深堀りされることはなかったが、それでも気になるところである。
彼自身は裁判中に「恋愛対象は同年代である」と話していたが、それは世間体などを理由にでっち上げたものという可能性もある。
よしんば年上の相手を口説くことが出来たとしてもそれを周りにどう思われるか、ということを考えると打ち明け辛かったのかもしれない。もしくは先の事を考えると「一緒にいるだけで幸せ」と手放しに言いづらかった、ということもあるのだろうか。とはいえ、こんな事件になってしまっては本末転倒だが・・・。
あるいは”恋愛”対象は同年代であるが性愛の対象はその限りではないという吉四六さんも真っ青なトンチを効かせていたのかもしれない。吉四六さんの登場する昔話では幼少期の吉四六さんは愚か者として描かれ、大人になるとひねくれた切れ者となり晩年には世話好きの好好爺となる。もしそうであれば愚か者の被告人も早く成熟してほしいものだ。愚か者よりはひねくれものであっても切れ者のである方が良い。
彼のストライクゾーンと女性側のギャップがこの事件を産んだのだろうか。そう思うと町を歩いていてすれ違うアベックは中々に奇跡的と言える確率の産物と言えるのかもしれない。野田洋次郎が「奇跡」を歌うのも納得できる。
君はいう 奇跡だから 美しいんだね 素敵なんだね
被告人の男にも私にも奇跡は訪れなかったようだ。
彼がRADWIMPSの名曲「ふたりごと」よろしく一生に一度のワープを使った結果、その行き先はロマンチシズムとは無縁の場所だった。ワープを使えず退廃的6畳間からどこへも行けない私とどちらが幸せなのかはわからない。
現在は被害者家族との間で示談が成立していると言うが、それに掛かる費用は家族が建て替えており、保釈金が返還された際にはそれも被害弁償に充てられるという。
現在までに支払われた示談金は158万だった。
事件に至るまで、彼は老成せざる自由で勝手な振る舞いを続け、事件後も弁護士や周囲の家族などが主体となって動いている印象だ。
示談金や保釈金などもすべて家族が建て替えており、ゆくゆくはそれを返していくという話であるがそれにまつわる費用を今回少しも負担していないという。日々遊び呆けていたとはいえ、すこしも出せない程に口座残高がなかったのだろうか。この有り様では示談金を誠意として受け取ることは出来ない気がする。
そういった身内の”甘さ”は、どこか腐敗臭に混ざる甘ったるい匂いを帯びている。
示談の際、被告人は両親と弁護士の4人で被害者の息子に謝罪文を持って交渉に赴いた。その際飲酒運転などの生活態度や彼が行ったわいせつな行為について追求され、それに「軽く考えてやってしまった。今は飲酒運転もしていない。今後は付き合い以上に飲まないようにして制御していく」と答えたという。どうやら傍聴席に座るハゲはどうやら被害女性の息子らしい。それで彼は納得したのだろうか、それとも眼の前に提示された現金やその場の雰囲気に気圧されたのだろうか。
被害女性は事件後、家に誰かがまた入ってくるのではないかと恐怖のあまり満足に眠れないらしい。安全であるはずの自宅が他人の手によって侵犯されるという恐怖はいつまでも残り続けるだろう。
その恐怖心を考えるとやはり彼に対してされている責任の追求は些か弱い様に思えた。
裁判中語られた彼が思う自身の問題点は「友人とお酒を飲むと調子に乗ってしまう」ということだった。だが調子に乗っていたとしてもこの裁判における罪状はそれではないのだ。終始問題点を「酒」というものにフォーカスしていたがこの裁判において彼が問われている罪はあくまでも「住居侵入、不同意わいせつ」である。酒を飲んでいてフラフラだったとして、他人の家に上がり込んだ上でわいせつ行為に及ぶものだろうか。
なんだが直感的になにがどうなってこうなったのか、というところが一切読めない。
もう彼が行くべきはカウンセリングだろう。
誰もそういったことには触れないまま裁判は終わった。
今後は姉夫婦の監督下で同じアパートで暮らしていき、家族内での声掛けを行っていくということだったが、家族と同居していた上でこの生活態度であった事と、今回の事件が起きたことを踏まえ、検察側からの求刑は1年6ヶ月。
弁護側はそれに執行猶予付きの判決を求めた。
次回判決。
なんだか全員が全く以て見当違いの方向に走り出し、一人はトライアスロンを始めて一人はマラソンを、一人は短距離走を始めた、とでもいうかのような裁判だった。みんな違ってみんな良いとはいうものの、この場合にそれを適応していいものだろうか。
結果として被告人には何かしらの刑罰が下るのだろう、という事実だけが間違いなく存在するがそれに至るプロセスはどこまでもおざなりなものだった。
当の本人達はどこまでも本気で、そして各々に対して間違いなくゴールが存在する。きっとひとつの目的に対して皆が同じものを共有しているということなどないのだろう。
もういっそ全員で手を繋いだまま仲良くゴールテープを切ってほしい。今そういうのが流行りらしいし。