裁判傍聴 窃盗 人工透析くん

 開廷10分前、弁護士に連れられてやってきた被告人の男性は薄いブルーとグレーからなるチェック柄のパジャマパンツに黒のアディダスジャージ、そこに毛玉を繋ぎあわせて作り出したかのようなグリーンのネックウォーマーという服装に身を包み、杖をついて足を引きずるようにして被告人席まで歩みを進め、ゆっくりと座った。座ってからも呼吸が落ち着かないのか、法廷には彼の荒く弱々しい息遣いが響いた。
 
 彼が履いていた靴は黒の安全靴風のスニーカーで、どう見てもサイズが合っておらず異様に大きく感じられた。それはまるで中世の罪人に掛けられていた足かせみたいに見えた。上半身を覆うオーバーサイズのアディダスのジャージに輝く金の縁取りがされた3本線は宿命的に黄ばんでおり、ジャージもパジャマパンツもダボダボでシワや毛玉が目立つ。彼が被告人席に座る際には、柵を超えて湿ったホコリのような匂いが漂ってきた。
 そこからは彼の生活の断片が感じられた。
 
 裁判官が入廷し、証言台に被告人の男性が立った。一挙一動が凄まじくゆっくりとしており、空白の時間が嫌に重い。まるでどれだけ走ろうとしても体が上手く動かない様な悪夢でも見ているかのような無力感が法廷には充満していた。
 彼は立ち上がる際、一度目では腰が上がらず二度目でやっと上がったかと思えば杖を持つ手とテーブルにより掛かる手がかすかに震えていた。
 
 昭和49年生まれの被告人は51歳と言うには背中が曲がり、髪の毛は健在だったものの前髪が短く襟足が変に長い無造作な髪型で、その傾斜が見事に曲がった背中と交わり一層姿勢の悪さを際立たせている。そのせいもあってか、見た目は10〜15歳は老けて見えた。それでいて妙に顎を突き出すようにしているものだから横から見ると類人猿の様にも見える。
 彼は大学を卒業後に事務員として働き始めたが、程なくして腎機能障害となり39歳で退職。それから今に至るまで障害者年金を受給し、それにより生活をしてきた。現在は田舎の中でも比較的栄えた街の郊外の一軒家で姉、妹と三人で同居している。
 
 事件当日、彼は大きな病院に受診した帰りに駅前と隣接する全国チェーンのスーパーへ買い物へ出かけた。
 その駅は被告人が暮らす家から一駅のところにあり、そこから15分程電車に乗れば繁華街にも出れるし、様々な路線へと乗り換える事もできる。そんな中継点として栄えた類の大きな駅だ。周辺には事件現場となったスーパーを筆頭に商業施設と飲み屋が並んでいる。
 また、奇しくも少し前に見た傷害事件の現場もこの駅前で起きたものであった。
 
 彼はスーパーに着くと店内を物色しながら階をまたぎ、天丼とハンバーグ弁当、そしてサポーター等の9点、5661円に登る商品を次々買い物カート内のカゴへと入れていった。それから人目につかない場所へと移動するとそれを同じくカートに乗せたリュックサックへとで移し替えた。
 空になったカゴとカートをそのまま売り場に残し、彼は店を出ようと出口を目指した。
 しかし、売り場でカートにリュックサックを不自然に乗せていたことや被告人の不審な動きから私服警備員が事前にマークしており、退店時に呼び止められ逮捕へと至った。
 その万引きの方法について、検察は「〜というスタイルで犯行を行い」という表現を用いていた。なんだか場違いに思えるその言葉のチョイスに思わず私は顔を上げたが、誰もその言葉に引っかかっては居ない様で裁判は淡々と続けられた。この法廷で私は一人きりで孤独だった。それにしてもスタイルって、その言葉から感じる洗練された印象と実情のギャップがあまりにも大きすぎる。

 調べに対して被告人は「病院で手術をしなければ失明する可能性があると言われた事から、今後ヘルパーを必要とする可能性などが過ぎり、経済的な不安を覚え生活費の節約のために盗んだ」と供述した。被害金額の弁済は済んでいるものの、店舗責任者は出入り禁止と併せて厳罰を希望しているという。
 この日、彼は色褪せたカーキに赤のベルトの目立つリュックサックを持参していた。このリュックサックは事件当日に使われたそれなのだろうか。デニムや革製品のエイジングはその人の生活を映す鏡だが、このリュックサックもそうであるらしい。そこには滲み出た彼の生活がそのままシミとなって表れていた。
 
 被告人は本件に至るまで3回の累犯を重ねており、4年前には2年に渡る服役もしていた。その際の犯行動機も本件と同様、生活費を浮かせる目的だったという。服役を終えた上で本件に至ったと思うと、こうした事件を起こす被告人に対して執行される刑罰が本当に更生に繋がるかというと怪しいところがある様に思える。

 彼は終始、どこか虚空をぼんやりと眺めており時折太ももを擦る姿が目についた。最初、寒いのかと思ったがどうやらそういうわけでもないのかもしれない。
 というのも彼は現在、腎不全による人工透析と併せて緑内障に、糖尿病、心臓病と様々な病気に罹患しており、皮膚科にも通っているという。擦っている様に見えたのは皮膚のかゆみからくるものだったのかもしれない。
 また、本件で窃盗したサポーターも先日足を怪我した事により必要だと思ったのだという。
 彼には前科により服役というネガティブな経験もあったが、それ以上に先のことへの不安から自暴自棄になった事で本件犯罪に至ってしまったと重ねて供述していた。しかし、それでもどこか、彼の言葉には重量というものが存在しておらず、その言葉達は検察や裁判官が資料をめくる音に所々かき消されていった。
 なにより自暴自棄という言葉と眼の前の実質的な問題に対処するためのサポーターという被害品がどうしても噛み合わない。なんだか「自暴自棄」という言葉を用いればいいとでも思っているのか、あるいは思いつきで話している様に感じられてしまう。
 私の思う自暴自棄とはもう”すべて”を投げ出して、自室の目に付く物を壁に叩きつけ、棚という棚をなぎ倒し、挙げ句に窓から道路めがけて頭から飛び出す、という具合の勢いに満ちたイメージが有る。人によってそのイメージは異なるとはいえやはり飲み込めない。
 法廷に向けて「明日、同じ時間にここに来てください。私が本当の自暴自棄というものをみせてやりますよ」なんて言ってやりたい気持ちになる。
 
 彼は現在、姉や妹と同居しているものの生活は完全に別れており、毎月もらう障害者年金の受給額約6万円で通信費や光熱費・食費等の生活のすべてを賄っていたのだという。その金額のみですべてをやりくりするというのは確かに難しそうだ。
 出所後は生活を立て直そうと仕事探しもしたが健康面の問題から仕事が見つからず、現在では透析を含む通院以外のほとんどの時間は家で寝て過ごす生活を送っているという。
 そのせいもあり、著しく筋力が低下し一層家から出るのが難しくなっていったと語っていた。実際、彼の立ち振舞いを見ていて就業は確かに難しいように感じられる。また、就業が困難な理由は健康面の問題だけではないのだろう、ということも裁判を通して伝わってきた。
 
 検察からの「服役が辛かったと取り調べの際に話してくださいましたが、それによって犯行を思いとどまろうとは思いませんでしたか?」という質問に対し、被告人の男性は「刑務所を出てから心臓の手術で、糖尿病で食べたらすぐ下痢して、一ヶ月で10キロ落ちたんです。それに失明するかもって言われて、どうしようもなくて」とやはりどこかズレた回答をしていた。
 これについて検察もなにか言いたげではあったがそれ以上の言葉が期待できないと気づいたのか一度口を開きかけてやめていた。
 続けて検察が「以前にも生活苦から同様の事件を起こしていましたが、ケアマネージャーや福祉課などに相談はされたましたか?」と質問するとそれについて彼は静かに「ないです」答えた。その言葉は限りなく「なぇえす」という風に聞こえた。終始彼の返答には気が抜けるような趣があり、そこからは気力というものが微塵も感じられなかった。
 質問をされている最中も、酩酊状態の人間の目線のような意思というものを感じられないそれをぼんやりと質問者に向けていた。まるで動物園の年老いた動物が人間を見るかの様な視線だった。

 おそらく以前行われた事件での公判でも生活苦を理由にしていたのならば生活を立て直す為のサポートについての言及もあっただろう。その上で本件犯罪に繋がっていると思うとやるせない。これが現代の司法と福祉の限界である。
 
 歳を重ねるとどうしても健康面での問題は起きやすい。ましてや持病などがあるとそこから他の部位にも問題が生まれたりもする。そうした面を鑑みると被告人に同情の様な気持ちも湧いてこなくはない。
 しかし、それでも糖尿病でありながら天丼にハンバーグ弁当という食の楽しみ全開のチョイスには如何なものだろうか。何もそういった楽しみをすべて捨てろとまで言わないが他になにか代替案はなかったのだろうか。おそらく病院でもこうした食生活についての指導が多少なりともされたはずだ。その上でこの生活を送り、悪化した健康面に不安を覚えて犯罪に走るというのは根本的におかしいように思えてならない。
 また、被告人は生活が苦しかったと供述していたが、普段スーパーなどは利用せずコンビニばかりを利用していたと法廷では語られていた。そういうところだぞ。
 
 食事制限や福祉サービスの利用など、やるべきことをやらず、あたかも自分が全面的な被害者であるかのような被告人の振る舞いに強い違和感を感じる。しかし、おそらく彼の認識はそこにはない。
 突然の腎不全障害、そして人工透析。そうした健康健康面の問題の始まりがすべてを狂わせていったのだろう。なぜ自分だけが、そういう気持ちが彼を蝕んだのだろうか。
 彼が腎機能障害を発症してから10年以上の月日が流れている。その中できっと少しずつ認識に誤差が生じ、その隙間がどんどんと大きくなっていったのだろう。まるでチューニングを怠った楽器が日々少しずつ調律を崩していくように。
 
 健康問題は誰にいつ降りかかるか分からない。健康オタクの私の父はガンで腎臓を取った。早くに禁煙し、親族の誰よりも健康を追い求め、健康の為と言われれば馬の糞すら食べかねない勢いであったにも関わらず彼は病魔に侵された。
 それでも幸い、現在は遠くの県へ単身赴任し自由気ままな一人暮らしを楽しんでいるらしい。もう2年近く会っていないような気もするが会っても話すことはないのでそっとしている。
 結局のところ、健康が失われても前向きに生きることは出来るし、そうした努力をしなければいけないのだろう。生きる上で様々な方向に努力は必要だ。きっと我々は死ぬまでそうした、何かしらの努力を続けなくてはいけないのだと思う。
 
 私には前向きに努力を続けて生きていく様な元気がないので「本物の自暴自棄」までのカウントダウンが着々と進んでいる。

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