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祈りについて

「祈り」という言葉を聞いたときに皆さんは何を連想するでしょうか。
ずっと書きたいと思っていた祈りについて書いていこうと思います。

私自身、「祈り」について知ったのは10年以上前になります。
それ以前も祈りという言葉は知っていましたしが、具体的にどういう行為かということは振り返ると全然わかっていませんでした。

学生の時に、神社に行って受験が受かるように祈願に行ったことはありますが、祈りというと、祈願や祈祷、神仏にお願いするということが一般的なイメージかもしれません。
または、祈りというと宗教っぽいというイメージを受ける方もいるかと思います。
(私が祈りを知ったきっかけや、祈りについての詳細、人の発する思いや波動については長くなりますので追って書いていきます。)

本来の祈りというのは、神仏にお願いしたり、目に見えない存在に頼ったりすることではなく、自らの心で、他の幸せを思うことになります。

神様や仏様など目に見えない存在を通して、誰かの幸せを願うことや、
自分自身が良くなる為、助けてもらう為に頼ることではなく、誰も、何もかえさず、自分自身の心から出る思い、波動を送ることです。
シンプルに書くと、祈るということは、純粋に心から他の幸せを思うことになります。
そこに見返りもなければ、損得などもありません。むしろ、結果を求めて祈ることは、祈りではなく、願いや欲になって行きます。

祈ることで起きた奇跡の逸話は様々ありますが、その祈りは、無欲、無心であることがほとんどで、思いやりの心からきています。

祈ったことによって、自分が得したり、良くなったりすることはありませんが、自分が発したその思い、波動によって自らの魂や心が清められていくことはあります。少し難しいのは、結果として物事が好転したり、心身の不調が良くなっていくことはありますが、その結果を求めてすると、思いが欲になってよりしんどくなります。

祈りのことを知ってから、毎日すべての幸せを祈っていますが、続けることによって気づきがたくさんあります。
ルーティンのようになって心がこもってなかったり、やってることに満足してしまったり、しんどいときや問題が起きたときには解決の為や、良い結果を求めてしまったり、また、悲しいニュースを聞けば、情に引っ張られたりします。

世界各地で戦争、紛争や災害、貧困など今現在苦しんでいる方いて、離れた場所からは出来ることは限られていますが、幸せを祈ることで何か救われるものがあるかもしれません。
物理的に、目に見えるものとして変化がなくても、きっと思いや波動は伝わっていきます。

日々の生活で余裕がない場合もあると思いますが、10秒でも自分と自分の家族、身内だけでなく、他の人、モノ、生命体の幸せを祈ってみるのも良いかと思います。きっと皆さんの心が温かく清々しいものになっていくと思います。



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