見出し画像

加藤唐九郎

加藤唐九郎さんが話している動画が残っていた。
短い動画だったが
自己を救えるのは自己の作品である。
焼き物で自分は救われるまで努力するしかないといった事を話しておられた。
不意に見てしまったのもあって私は泣いてしまった(すぐ泣く)

私は陶芸家なので加藤唐九郎さんの事は知っていた。
永仁の壺事件や
なんとなく感じる
でっかい声にちょと正直引き気味だった。
野生味が溢れる昭和の典型的な陶芸家なのかと思っていた。
唐九郎さんが外に見せるチカラみたいなのばかりを見ていた。
陶芸家その人に興味が湧く事は少なくまぁ巨匠にたいしては作品を見れたらそれで良かった。

動く唐九郎さんは終始陶芸への愛みたいなものに溢れていて
後世に生きているであろう会った事もない私達へのあたたかい眼差しを向けた言葉を話してくれている気もする。

青山二郎はずっと加藤唐九郎を芸術家として信頼していた。
とても腑に落ちた。
自身の骨壷は加藤唐九郎に作らせている。
青山二郎は
唐九郎も存分に饒舌なので
他の饒舌な
つまり世の矢面に立ってきた人達の辿った末路をたどるんではないかと心配していたそうだ。

確かに初見だったり特別に興味を持たないと唐九郎は饒舌な所ばかりが目立ってしまう陶芸家なのかもしれない。

動く唐九郎は当たり前だけど一気に自分の先入観を飛び越えてしまった。
こうやって当時の人達も唐九郎のイリュージョンに酔っていたのかもしれない。
唐九郎が随筆と称して記していた文章も読みたくなってしまった。
何が唐九郎さんのルックで何が唐九郎さんの本質であったか。
おそらくどっちも書かれている。
本がもうすぐ届く。
楽しみ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?