明治期から現代までの土御門家の年表です
これは以前、福山リビングカルチャー倶楽部で行った1日講座のレジュメの一つとして作ったものです。
明治の新時代を迎えてから、令和の今にいたるまでの大まかな足取りを年表にしております。
年表を見ればわかると思うのですが、いわゆる「陰陽道禁止令」と言われる「天社禁止令」が”明治3年(1870)の閏10月”という、中途半端な時期に断行されたか。これは明治新政府の”計画的犯行”ともいえるでしょう。
すなわち、当初は造暦のノウハウを持っていなかった明治政府は、一旦土御門家にその役目を任せる一方で、人材を中に入れて学ばせました。次いで、土御門家より先進的であった幕府天文方系の人物を登用し、土御門家から学び取った造暦技術をブラッシュアップさせます。
ある程度ノウハウを学び取った途端に、政府は人員整理を提案したり、造暦を司る部局の配属先などについて言い始めます。そして星学局を東京へ置くと決め、土御門和丸が星学局御掛として東京へ出向いた途端に「天社禁止令」が発令されたのです。
まもなく星学局京都出張所であった京都梅小路の土御門家は閉鎖。和丸は星学局御用掛を罷免となってしまいました。
つまり、明治政府は土御門家から造暦のノウハウを学び取り終えたところで、まず禁止令を出して土御門家による造暦を止めたのです。
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