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陰陽道閑話~【番外編】 安倍晴明 (5)

 またまた長らくお待たせいたしました。生誕1100年を記念して、特別編として安倍晴明を特集してまいりました。今回はその5回目。恐らく次回が最終回になるのかな、とは思いますが……とりあえず話を進めて行きましょう。

 安倍晴明は歴史の表舞台に出るのが遅かったために、功績は晩年に集中しています。その中から特筆すべき出来事を、前回の後半から話しておりますね。その続きです。

【泰山府君祭と追儺ー新例創出と伝統保守 ②長保三年追儺での晴明の活動】
 長保三年(1001)閏十二月二十二日、藤原道長の姉にして、時の一条天皇の生母(天皇生母は「国母(こくも)」と称される)である東三条院詮子が崩御しました。国母崩御が折しも年末に差し掛かる時期であった事から、大晦日の諸行事は中止となりました。詮子は天皇生母であり、また時の権力者である道長の姉でもあった訳ですから、その死は国を挙げて悼む事になります。なお年末の行事の一つには、陰陽寮が主催する「追儺会」もあり、それも見合わせる事になっていました。『日本紀略』長保三年十二月にある記録は以下。

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