陰陽道閑話~陰陽道は何処から来て、何処へ行ったのか【第4回】

 前回は陰陽師で唯一、大陸に渡った人物である春苑玉成をご紹介しました。玉成は大陸に大陸に渡り、日本の陰陽寮が抱えていた問題を、少しでも解消しようと情報を集めて帰国しました。この事からわかるのは、少なくともこの時点では、陰陽道・・・ひいては「陰陽寮」が職掌とする各技能は、大陸の諸思想(特に道教や儒教)の影響を強く受けていた段階であったという事が分かるのであります。

 その後、陰陽道は我が国の事情に合った独自の存在となっていきます。それは春苑玉成以来、大陸に渡った陰陽師が一人もいなかったという事も大きく影響するのではないかと私は考えています。

 しつこいようですが、「陰陽道」というもの自体は大陸や朝鮮半島にはないもので、我が国独自のものではあるのですが、根源的な部分を指摘すれば、平安時代の「国風文化」勃興の過程と同じで、大陸・半島を経てやって来たものを我が国の事情にあったように変化、組みなおした結果である事には変わりありません。そして「国風文化」にしても、陰陽道にしても、「我が国特有の存在」として登場するのは、ある一つの理由がありました。それが、大陸との関わりの途絶(希薄化)です。

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