文芸創作に於いて「必要な力」(に就いての雑考)。

「文芸創作」でも


小説に必要なのが

「ある程度以上の持続性のある化(バケ)力」なのに比べると、


詩・短歌・俳句…等々、詩歌に必要なのは、
どちらかと言うと「一瞬の力技」という気がする。



小説において必要なのは、

「少なくともその小説が続いている間、読者の意識を魅了し、自分のコントロール下に置き続ける力」

であり、

(何となく、詐欺師の技に近い気が)


詩歌においては

「瞬時、またはごく短時間の間に、読者の心を鷲掴みにし、

『どっせーい!!』と、遠慮会釈なく彼岸の向こうへと吹っ飛ばす力」

(こちらは、…「武闘派ヤクザ」?)

ご存知の方は、
『喪家狗子』における
「包帯無駄遣い装置」・「『素敵帽子』の重力使い」の、「ポートマフィアの『双黒』コンビ」両氏に喩えてみると、或いは解りやすいかも知れない。

(そう言や、実際の文豪お二方の遺した作品も…)


もちろん、詩歌の内でも、

後からじわじわと遅効性の毒薬のように効くものもあると思うけれど、

そういうものにしても

「一瞬、またはごく短時間の内に」、読者の心に仕込む必要がある。

(こうなると、ほとんど「刺客」の技…)




スポーツの、競技自体と、特に、視聴者(=読者)にアピールするための競技中継に喩えるならば、


小説は「マラソン競技」であり


詩歌は「格闘技」や、拳法の型の演武、または「居合斬り」…。



逆に解りにくくなったかも知れない。


脳内イメージを言葉で表現するのは、やはり難しい。



(2023-09-20)





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