「文豪の居留守」

お久し振りです、木ノ下です。

少々以上に長いお休みを頂いておりました。

「完全復活」…などとは、烏滸がましくてとても申せませんが、
その内に、今回の「お休み」の背景事情も含め、何らかの形でお話しできると良い、…と存じ居ります。


さて、…今回のお題、「文豪の居留守」。

先日、「表現者にとって、『(表現上の意味での)変態』とは、最大級の賛辞」という言葉を目にしまして。

そう言えば、「実生活でも『変人』」というのは、昔の文豪の先生で割に多いな、…と。

(この手のエピソードを見聞きすると、誠に一方的ながら、「同族」を見つけた心持ちになって、何やら非常にほっとします)

この場合の「変人」の定義を確認しておきますと、

「法に触れること」「人倫に反すること」はしていない、
(中には、「うーん… 」と首を捻らざるを得ない、という方も、
…まぁ、全くおいででない、丸っ切りの皆無というわけではない、…のですが)

ただ、

思考・言動の一部、または全体が、
「一般的大多数」の平均値の範疇からは明らかにズレる、

また、それは基本的に、本人独自の性格的傾向や価値観などの、個人のごく内面的な部分に起因するものであり、
他人からの受けを狙う…などの対世間的な感覚とは、どちらかというと無縁である、

…というところでしょうか。

「『変人』振り」というのは、恐らくですが、当人はそのことを全然意識しておらず、
謂わば「巧まずして…」という奴かと。

これも恐らくですが、
他者から見れば、明らかに『変人』であるご本人は、
「自分は変人ではない」と本気で思ってるか、
或いは、自分の「変人振り」を自覚していて、「何とか『普通の人』から浮かないように…」と願っている、
…という、ふたつのうちのどちらか…というのが大多数かと。

これは、特に女性で言う
「天然さん」か「養殖さん」か…というお話で、
当人が、その両者のうちのどちらであるか…の、ごく簡易的な診断方法として、
「アナタ、天然さんだねぇ…」
と言われて、
「ええー、そうかなぁ…?」
と、心底からの余裕の笑み、…というのは大抵「養殖さん」で
真に「天然さん」の場合は、
そう言われたら、「…そうなの…?」と、本気で困惑するか、
或いは、「そんなことない…!」と、明らかに気を悪くするものだ、
…というお話に似ているかと存じます。

(ちなみに、誠に烏滸がましいことながら、私本人の場合は…と申し上げますと、
「アナタ、本当に変わってるよねぇ…」と言われたら、
「いや、…本人もその辺は充分過ぎるくらいに自覚してるから、もうそれ以上は勘弁して…」と、苦笑いを作るしかない、…というものです)

閑話休題。

よく「窮した時に本性が出る」と言いますが、
「居留守」というのも、ある意味、「窮した時の切り抜け方」であって、
そこには「本性」が出るものでは…と思います。


(ちなみに、これは私の知り合いの話なのですが、

管理会社に登録している人間以外は居住不可の建物に住む、自分の知り合いの元に転がり込み、
たまたま一人の時に、管理者が合鍵を持って入って来たので、手洗いに隠れたところ、
管理者が、誰もいないはずなのに、手洗いの電灯が点いているのを訝しんで、扉を開けたので、
仕様こと無しに、便器に座ったまま、マネキン人形の振りをした、

…というのを聞いたような、聞かなかったような…)



以下は、以前の文章の焼き直しですが、
「文豪各位の居留守」についてまとめてみました。


まず、長いこと一人暮らしだった永井荷風の場合。
訪問者に対し、自ら玄関先に出て、
一言、「留守です」と言い放ったとか。
「いや、…貴方が荷風先生でしょう」
と突っ込んだ訪問者に、
「本当に留守です。当の本人が言うんだから間違いない」
と言い返したそうです。

(いっそすがすがしいまでの他人嫌い振りに痺れます…)

その荷風と「往時の文壇での『変人の双璧』を成す」…と、私が心中密かに思っている、
内田百鬼園(=内田百間)先生の場合。

(内田百間の、この手の「偏屈エピソード」は、
どうも、「内田百間」ではなく、「百鬼園先生」という「名義」の方が、よりしっくり来る気がします…)

玄関先に
「世の中に客の来るこそうれしけれ
 とは言うもののお前ではなし」
という狂歌を貼り出したそうです。

この狂歌の、文字通りの「本歌」は、
大田南畝(蜀山人)の

「世の中に客の来るこそ『うるさけれ』
とは言うもののお前ではなし」

というものだそうで。

本当に、「単語ひとつ入れ替えるだけで大違い」という…。

(以上二つの荷風・百間のエピソードの大元の出典は、現在のところ不明。もしご存知の方があればお知らせください。
なお、文意をお伝えしやすくするため、蜀山人の狂歌の本文中に、二重鍵括弧を入れさせて頂きました)


こちらは、正確には「居留守」ではないかも判りませんが、
ある意味、「来客に対する示威」のエピソードには変わりはないか…と。


この手の百鬼園先生の逸話は、
件の「イヤダカラ、イヤダ」共々、「お見事!」だと思います。
あの、ほぼ「謀反気」とも言っても良いような「反骨心」を常に保った姿勢は、いっそ痛快ですらあります。

(多分、それでまた、当時「先生に一度会ってみたい…」という、「無責任な『ご贔屓』」が増えてしまったのでは、…とも思いますが)

「蜀山人の狂歌のもじり」は、
何となくですが、幸田露伴と斎藤茂吉の
「宝井其角の、『闇の夜は吉原ばかり月夜かな』を何処で区切るか」という話を連想します。



今度は、その幸田露伴の場合。


玄関先でしつこく面会を求める客に我慢がならなくなった露伴先生は、
(恐らく、江戸っ子に特有の、短気・せっかちもあったか…とは思いますが)
奥の座敷から「俺は留守だと言え!!」と怒鳴ったのだとか。


その折、玄関先で応対に出ていたのは、
一人娘を連れて婚家から出戻っていた、露伴の次女の文だったそうですが、
(文も、後に文筆家として名が上がりますが、これは、その以前のお話です)
「その時、文はちっとも騒がず(推察するに、内心は冷や冷やだったとは思いますが)」、
ごく愛想良く
「本人もああ申しておりますので…」
と、そのしつこい訪問客を追い返すのに成功したそうです。

(これは、その、母の文と一緒に、祖父露伴と「小石川の家」で暮らした、
文の一人娘・青木玉氏が、昔、ラジオで語っていらしたお話です。
あまりにインパクトの強いお話なので、割と細部までよく憶えております)


ちなみに、
先の「其角の『闇の夜は…』の句」の議論の、もう一方の「巨頭」である斎藤茂吉にも、
同じように「癇癪を起こして、奥から『俺は留守だ!』と怒鳴り、嫌な客を追い返した」という逸話がある、…と、
その、先程の青木玉氏の時と同じラジオ番組で、
ご同席の、もう亡くなられましたが、茂吉の長男である斎藤茂太氏がお話しされていた、…と記憶しております。

(何ぶん、…それこそ20年くらいは以前の、記録も取っていない個人記憶を堀り出したものですので、
記憶の間違い・欠落などありましたらご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。

付け加えておきますと、そのラジオ番組とは、
今は既に終了してしまいましたが、NHK−FMの長寿番組『日曜喫茶室』でして、
私は一時期、「この番組のためになら受信料払う!」と打ち上げていたくらいのヘビーリスナーでした。

あ、…これまた、ちなみに…なのですが、
「ラジオに関しては、受信料の義務はない」…と、昔、聞いた覚えがあります)


ついでに、と言っては語弊がありますが、
露伴・文の父娘のやり取りで、もうひとつだけ。

こちらは、「居留守」とは関係なく、どちらかというと「ほろり系(…?)」のエピソードですが、
私が個人的に好き、…と言うより、どうにも忘れられないお話です。

露伴が「いよいよいけない」という時に、
「…いいかい?…俺ぁもう死んじまうよ…」
と言う露伴に、
文は、きっぱり
「よござんす…!」
と答えたそうです。

思うのですが、
この「よござんす」は、
露伴にとっては、お坊さんの「引導」にも等しかったのでは、と。


特に、露伴が亡くなったのは終戦の直後で、
後に遺されるのは、「出戻り後家」の文と、出世前のその娘(=青木玉氏)の、母娘二人、
当時、一家の活計の道は、露伴の文筆の収入のみだったそうなので、露伴先生はそれも気掛かりだったのかな、と。

(後から調べたところ、露伴の没年は昭和22年とのこと。
終戦直後…とは、或いは言い過ぎかも判りませんが、敗戦のごたごたが、少なくとも「充分には」収まっていない時期かと)

多分、上のやり取りは
「お前達、俺がいなくてもやっていけるのかい?」と心配する露伴に
「大丈夫、心配いりませんよ」という文の返答も内包されていたかと。

青木玉氏は、後年のラジオインタビュー
(先程の「居留守エピソード」の時とは別の番組です)
で、この話をしておいでの時に、
「亡くなる人に『よござんす』はないでしょうにねぇ…」
と苦笑いしておいででしたが、

それは「祖父・露伴と母・文」の間にあったものを、一番間近で見ていたからこそ、
それらを全て呑み込んた上での「苦笑い」だったのでは…と、私は思います。



文末までご覧下さいまして、誠に有難う存じます。
m(_ _)m

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