【脳内の細分化】くっついている思考を一回剥がしてみよう
細分化は私の趣味のひとつ。
なので、今日は、思考の細分化について書いてみます。
名付けて「脳内細分化」。
さっそく、いってみましょう。
まず、季節柄「春」という言葉を細分化してみます。
「春」という文字を見ると、どんなイメージが広がりますでしょうか?
桜、花見、ツクシ、あたたかい、卒業、入学…などでしょうか。
この言葉に触れた時に、連想されるイメージを別々のものに分けてみるのが、
脳内細分化です。
春 = 桜、とは限らないよね、という視点。
日本は、春に桜が咲くけれど、
日本ではない国には、
桜が咲かない春もあるよね、という感じ。
日本人の多くは、
春と桜が思考の中でくっついてるから、
それを一回、剥がして別々のものとして扱うとどうなるかな、
とう脳内実験でもあります。
もしかしたら「冬の桜」という、
ちょっと詩的な思考も出てくるかもしれない。
…「冬の桜」はなんだかステキなのに、
「夏の桜」はなんとなくステキじゃないのは、なんでだろう。。。
この、脳内細分化を他の言葉でもやってみると。
「失恋」は「悲しい」ことが多いけれど、
悲しくない失恋があってもよいよね、とか
「借入(借金)」と「悪いこと」が思考の中でくっついていることもあるけれど、
そんなことはないよね、
よくないことをしてしまった最初のきっかけが「借入」だったかもしれないけれど
「借入」をした人、全員がよくないことをするわけではない。
…なので、できれば、子ども達に「借金は悪いこと」だと教えてないで欲しい。
不安なのはわかるけれど、その教えは子どもの可能性のひとつに蓋をするかもしれない。
こうやって、いつのまにかくっついてしまった思考を
一回剥がして、別々のものに分けて考えてみると、
思考の幅が広がって、
見えていなかったものが見えるかもしれない。
結果、楽になることも多いんじゃないかな、と思う。
長くなったので、いっきにまとめに向かいます。
情だけじゃ社会は回らないし、
情のない、非情な社会はつまらない。
そしたら、情を持ちつつ、
情ではないとところも大切にしていきたいよね。
そのためには、情と情ではないところと分けて考えた方がいい。
やっぱり、分ける意識は必要だ。
むりくりまとめてるけど。
脳内細分化、
時々、思い出してやってみてね。
ちなみに私のnoteは、読んでくださる方に対して、
何かをねらって書いているのではなく、
只々、noteに書く、という行為が楽しくて書いております。
それでも、時折、
「今の私にピッタリな内容でした」
というご感想をいただけて、ありがたいかぎりです。
そんな私が書いたものを、
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
紀乃