今週のkinologue【6/24-30】
6月が終わるということは今年も半分終わる。ため息しか出ない。。。
今月は学会月間で、最終日は久しぶりに生活学会で発表。リアル発表は2年ぶり?昨日の夜にやっと資料を上げたものの、ピリッとしないなぁというのを引きずったままで質疑応答もなんだか、、、毎回司会の先生に助けられている。お試し発表(というのは失礼かもしれないけど)が多く、学部生の発表も多いから、メディア学会よりユルい。ま、それが良さでもある。帰りのバスで発表した学生と先生の反省会に遭遇。反論はするな!という指導をされてたけど、発表前に言っておいてあげればいいのに。お久しぶりや思いがけない方にお会いしたし、往復5時間の価値はあった、かな。腰が痛いけど。
この2週間、論文執筆のためのライティングコースに毎日参加して、非常勤も休みだったしほぼ引きこもり。唯一のお出かけ日は、民藝展をいつも一緒に見ている美術界隈のプロの友人と、民藝@世田美→アウトオブ民藝@生活工房→アフロ民藝@森美という大民藝ツアーを敢行。完璧な順番で見たよね!とふたりで自画自賛した半日だった。
会期終盤だからか、平日でも混んでいた。友人曰く、民藝展は入るらしい。充実していた「民藝の100年」と比べてはいけないけど、ほぼ民藝館と芹沢銈介美術館からの借り物でここで見なくてもよいものばかりだし、それぞれの配置も謎しかない。空間をぶち壊す巨大「手仕事」写真も、最初と最後のフォトスポットも一体???とディスりが止まらないのでここまでに。でもこれは想定内。だからツアーの一番最初にしたのだ。美味しい緑茶ですっきりしてから、楽しみにしていた「アウト・オブ・民藝」へ。
みっちりとした芋蔓年表と相関図を見ていると、これまで見聞きしてきた民藝まわりのことや、ここ数年の婦人之友社との関わり、部屋の本棚から見守ってくれる遠刈田のこけしちゃんもすべてがつながってくる。なんか必然。世田美の「民藝」よりずっと愛を感じる冒頭の文章がお気に入り。「1924年4月(ちょうど100年前)、柳宗悦は関東大震災を機に京都に引越し、河井寛次郎や濱田庄司と仲良しになっていました」。そうなんだよ、仲良し3人組でどこにでも出かけてかわいいものを探してキャッキャしてたに違いないでしょ。民藝ボーイズクラブは確かにジェンダー的にどうなの?だけど、仲良しになってから100年経っても民藝人気が続いているのは、彼らの審美眼が時代を超えているからだ。今月の芋蔓まつりには行けなかったから8月のトークには行きたいなぁ。それまでに書籍を手に入れて「アウト・オブ・民藝」思想の根っこを勉強しておきたい。
正直「アフロ民藝」まで見に行くことは前日に決めた。しかし大正解!この日にずっと見てきた「民藝」の何が今も惹きつけるのか、ブラック・アーティストのシアスター・ゲイツがひとつ答えをくれたような気がした。20年前に常滑にやってきて陶芸を学んでいたシアスター・ゲイツによる「はじめに」的な文章にこう書かれていた。「(この展覧会は)ものづくりと友情を通じて、人が文化の持つ影響力の可能性に身をゆだねたときに、何が起こるかを示すもの」「民藝と『ブラック・イズ・ビューティフル』運動はともに、植民地主義的ヘゲモニー(覇権)への抵抗としてサブカルチャーを称えるための、重要な考え方を教えてくれます」。はー!ハラオチが過ぎる。なんだよ、アフロ民藝って。うますぎる。天才か。多ジャンルを横断する数々のアートの中でもケッサクなのが、架空の陶芸家・山口庄司にまつわるプロジェクト「ヤマグチ・インスティテュート」。確か7代目まではいたはず。常滑焼とヤマグチと民藝とアメリカ黒人史が並行して書かれている年表が秀逸なのだ。閉館間近で追い立てられたし、残念ながらまだカタログが売ってなかったので(会期半ばなのにまだないってどーいうこと??)、手に入れてじっくり確認したいところ。爆音のフレディ・マーキュリーが流れる中、キラキラまわるオブジェと常滑焼の徳利が背後に並んだバーカウンター。これがアフロ民藝か!と溢れる多幸感に浸っていたかったが、閉館のアナウンスが。涙。
学会も終わったし、いよいよ7月!今年後半戦!新たな課題が待っている。締め切りも待っている。紫陽花はほぼ終わり、夏野菜の第1弾収穫〜〜
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